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2011年10月14日金曜日

仙台レポート-砂連尾理

仙台は私にとって、作品制作とワークショップで滞在した2003年以来、ほぼ毎年のように訪れる、とても縁の深い町です。今回、私は、その当時のワークショップ参加者であり、現在はARC>T(Art Revival Connection TOHOKU)こと、あるくと事務局員である千田みかささんのコーディネートにより9月12日から14日までの三日間、仙台に滞在し、ワークショップを行ってきました。
また、そのワークショップで私は、2007年のみやぎダンスでの作品制作がきっかけで知り合った、ダウン症の佐々木大喜さんと安藤共博さんにアシスタントに入ってもらうことにしました。その理由としては、単純に友人として彼等と接する時間を少しでも多く作りたいという思いが一番ではありましたが、彼等とはみやぎダンスで関わった以降も私の関わったプロジェクトに何度か参加してもらう機会があったことで、彼等にアシスタントしてのスキルが十分にあると感じていたことや、そんな彼等がアシスタントに入る、その意味をワークショップの参加者に感じてもらうことも、個人的には大きな理由でした。





さて、二日間行ったワークショップの、一日目は宮城県障害福祉センターで主に障害者施設に働く職員を中心に、そして二日目はダンスや演劇に携わる方を中心に10BOXで、それぞれ20名程の参加者とワークを行いました。
ワークの内容はストレッチを行った後は、二人一組でのコンタクトと物を使ってのワークを中心に行い、そして最後は皆で即興的に動きあいました。
ワークは二日とも緩やかに、そして朗らかな雰囲気の中行われ、個人的には二日とも良い時間を過ごせたような気がいたします。また、佐々木さんと安藤さんのアシストぶりもユニークで、彼等にしか生み出せない楽しい時間を演出!?してくました。
尚、一日目の模様はARC>Tの活動ブログの9月13日欄(の一番下の記事)に簡単ではありますが、あるくと事務局の千田優太さんが紹介してくれているので、そちらもご覧頂ければと思います。
http://arct.jp/blog_action.html#/list/20110913





また今回私は、仙台在住の友人であり、仙台メディアテーク活動支援室の室長である甲斐賢治さんを訪ね、震災当日のことやそれ以降のこと、そしてメディアテークが取り組んでいる様々なことを聞かせてもらいました。
そして私は、その取り組みの一つである“3がつ11にちをわすれないためにセンター”の活動メンバーに登録を行い、特に震災以降の生活について、(その活動主旨に賛同頂けた)佐々木大喜さんと彼の母親へ、彼らの声を後世に伝え、記録する為にインタビュー、撮影を行いました。
そのインタビューの中、佐々木さんのお母さんのお話を聞いていると、仙台に住む彼等は、同じ被災地でありながら、大きなダメージを受けた海岸線や、今なお放射能問題に苦しんでいる福島の人々に対して、非常に大きな負い目を抱え込んでいるなと感じました。同じ被災地であるが故に、またその大変さが身にしみて感じられるが故に、より深刻な人達への援助を相当頑張った上に彼等への気遣いもかなりされたのだろうなと思います。
だから、もしかすると仙台に限らず被災地の中でも比較的被害が少ないと思われている地域に住む人達の心の中で起こっている動揺は、私たちが思っている以上に深刻で、被害の甚大な地域同様、その安らぎを回復するまでには、かなりの時間を要する気がしました。そんな状況の中、直接の被害にはあっていない、東北地域以外の人達が、彼等のそばに寄り添い、ただただ話しを聞く時間を作ることはとても重要だと感じます。



佐々木大喜さんとお母さんのインタビューの模様は、ただ今編集中で、間もなく仙台メディアテークのホームページ上にてアップの予定です。
http://recorder311.smt.jp/  (11/2公開されました。)


震災後、3.11から丁度半年すぎた一日目の9月12日に、ようやく仙台入りすることが出来、先ずは知り合いの、しかも私に直接声をかけてくれた人達と手を取り合い、そこでの恊働作業を行うことから私の復興活動は始まりました。今回、僅か3日間の滞在ではありましたが、私は仙台で見たことや感じた事を私の身の周りの人々に出来るだけ伝えていきたいと思っています。そして、そこでのレスポンスを仙台の人達にも伝え、取りあえず、仙台と私の周辺の人々が双方向に行き交うネットワークを作り、そこで生まれた関係性を継続し、広げていく事で、仙台、東北のことだけでなく、3.11以降の日本の未来について共に模索していけたらと考えています。

次回の仙台訪問は12月の半ばを予定しています。

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