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2011年6月20日月曜日

八戸、野田村 2 (3日目)--佐藤美紀

5/30
本日は、佐東さんの運転で野田村へ。
ダブルサトウと平島というローカル色ゼロのメンバーです。

中学校横の避難所は5月末で閉鎖(つまり翌日)米田地区も滞在者は少なく、昼間は家の掃除や修復に行っているから人は居ないよ、とのことでした。昼間は作業の時間。家を直したり、掃除したり。そんな時間。
それでも、様子見と今後の為に、野田村を視察。

野田村の復興は早い。
行方不明者がゼロになったので、重機も入る。
つまり、行方不明者がいる間は、まず自衛隊が瓦礫をチェックし、住民がチェックし、解体OKサインを出さないと重機は入れない。
住民が残っていない家屋、店舗が多い地域は、復興も遅れる。
確認作業も出来ない。

時間がかかるとは、ひとつひとつ、そうやって理由がある。
広さもとてつもないものだし。


どうでもいいけど、この日、昼間で7度だったよ!
さむ~~~~~い。
こんな雨の中、作業するのって、大変。



カラダホグシがなくてもやることはある。下見と今後の展開さがし。
霧と雨の中(軽い台風)苫屋なる、ウワサの店を探す。
山の中、アジア民族造形館の隣らしい。さっき、駅でもらってきた野田村マップが役に立つ。
そひて、あいぽんのお二人は電波なし。
どーでもいいどこもを使っている私のアホケータイが役に立つ。
マップで正確な山奥の位置確認可能! すばらしー

アジア民族造形館に到着。
おおおおおおお~~~~~~~、こんなトコロが、なぜこんなトコロに!!!!
残念ながら被災のため5月末までお休み。
6月1日からオープンだって。残念ながら入れなかったけど、外観を堪能。

そして、苫屋さんへ。

こちらも、お休みだったぁ・・・・・
そ、だよね。となりのアジア民族造形館と連動だよね。


帰り道、 特別養護老人ホームことぶき荘、デイサービスなどの施設を通過。
結構大きいな・・・と、チェックし、後ほどの展開に回す。

そして、えぼし荘という国民宿舎が避難所になっているというので、行ってみる。


村役場などの中心地から車で15分位。
車しか移動手段はない。
リアス式海岸沿いを走る。
線路は・・・・途中が無い・・・


えぼし荘、到着。
佐東さんがスミマセン~と入り、平島がトイレを借りに行き、私が受付の女性と話す。
一般に人が泊まることも出来るの?と私が聞いたら、女性が嬉しそうにどうぞ!!と。
ここから、話がはやい。
佐東さんが、何をしに来ているかなど概略を説明すると、まったけさんなる人物を紹介される。
彼がどうやらココのキーパーソンらしい。
ブログで自分たちの状況、必要なものなどを発信し、日本全国、いや世界から救援物資をゲットしている・・・
そして、一番びっくりしたのは、野田村入りするときに見ていたYoutubeの映像、津波が来る瞬間を映像にとっているご本人だった!!!
良かった、生きていて・・・
支援物資でPCを手にいれて、携帯の回線で情報を発信し続けている。
この村にそんなブロガーがいるとはっ!驚き。
情報格差はここまで浸透か・・・

村役場から離れた避難所で、救援物資も少なく、炊き出しも情報も少ない中、本当に多くの住民のためになっているのではないだろうか?
今必要なものは一刻一刻変わる。
行政では間に合わない。
村役場も遠く、車のないお年寄りには行かれない。
1日、数本あるバスを待つしか方法はない。

まったけさんぶろぐ

津波の映像

で、また、来ることを約束し、この日は帰る。

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