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2011年7月12日火曜日

宮城県東松島市レポート その3 早川朋子

6月15~16日、仙台と東松島へ。
コーディネーターの吉野さつきさんダンサーの山田珠実さんととともに、今回は、ワークショップをするのではなく、子育てセンターでの、お母さんと赤ちゃんのプログラムを見学し、その上で何ができるかを現地の方と話し合えればという意図で行った。


■東松島市 矢本子育て支援センター
「妊婦・赤ちゃん広場 専門家とおしゃべりタイム」を見学


仙台を出発し車で東松島市役所のエリアへ。市役所は災害対策本部、仮設住宅申込みなどで多数の人が出入りしていて、他県の名前がはいったベストを着た応援の職員もたくさん見かける。
子育て支援センターは市役所から車で少し行ったところにあり、その周りも、外にはテントが張られ「土のうの貸出こちら」など出ている。
また、おそらくボランティアの人たちが寝泊りしているであろう、小さな宿泊用テントも多数。

ここに来るほんの少し前に、津波の跡がはっきり残った場所を車で通って来た。がれきが散らばっている場所と、被害を受けず家々がならぶ住宅街と、道を一本隔てただけなのに全く光景が違う。それに愕然とする。

そんな敷地の状態のなか、子育てセンターは、一歩入ると広々と畳とカーペットが敷き詰められ、窓から広々と緑が見え、絵本やおもちゃが置いてありゆったりした空気 。
どちらが日常でなにが非日常なのか、一瞬わからなくなる。
さきほど見た、津波で流されたエリアはすぐ近くだからだ。


時間が来て徐々にお母さんと赤ちゃんが集まりだし、支援センターのスタッフの進行で手遊びや自己紹介などが始まる。
お母さんどうしはあまり顔見知りではない様子。そのつど自由に参加だからかな。
でも自然に、小さい赤ちゃんズと遊びまわれる3歳前後の親子でわかれて遊んでいる。

これだけたくさん赤ちゃんや子どもがいるというだけで楽しそう。

小児科の先生や助産師さん栄養士さんなどが来ていて、自由にそばに集まり質問をする時間。私は小児科の先生を囲んだ輪にいて、みんながどんなことを質問するかなあと聞いていた。多かった話題は予防接種のこと。ヒブワクチンと肺炎球菌の同時接種しても大丈夫か、とかポリオは生ワクチンか不活化ワクチンか、など2歳の母である私自身も気になっていたことと同じだった。

震災に関連した子どもについての相談などはそこでは聞かれなかった。
日常が戻ってきているということなのかな。
お母さんどうしも初対面の人が多かったら、お互いの状況を話さないのも当然かもしれない。私も、娘が生まれてこういう子育てセンターの催しに行ってたけど、毎回、初対面のママどうしで「いま何ヶ月ですか~?」「離乳食食べてる~?」などの おしゃべりに疲れて(!)すぐ行かなくなっちゃったから。

まだ幼稚園保育園に行かない小さい赤ちゃんのいる人は、どんな風に過ごしているのだろうと思い、そばにいたお母さんに話しかけてみる。よちよち歩きの子を連れたそのお母さんは、そもそもこの矢本のエリアに住んでいるのではないそうで、今日はわざわざ来たらしい。
「普段は、、あんまり行ける所はないんです。歩いていけるところにはなかなか。まだ公園とかで遊ぶには小さいし…」車がないと、なかなか自由に動くことも難しそうだ。
震災後、どうしていたかということも聞いてみたかったが、なんとなくそこには触れてはいけない気もしたし、東京からぽんと来て興味本位に聞いているようで躊躇してしまっ た。


■車から見た光景

その後、仙台へ戻る途中、津波の被害を大きく受けた地域を車で通る。
車で同行してくれた仙台在住のみ弥さん優太くんは、東京から人が来るたび「案内」してもう見たくない光景かもしれない。

けれどそれは想像を超える、思考がストップする光景だった。
3階くらいまで、窓ガラスも何もすべて吹き飛んだかのような建物。押しつぶされた車が大量に集められた廃車の集積場。
「あの建物の上にいた人は助かったらしいよ」と4階建くらいのショッピングセンターを教えてくれる。じゃ、そこに辿り着けなかった人は…。
震災から2ヶ月が経っているので、がれきの撤去も進み更地のようになった場所も多いが、それぞれの家の土台だけが残ってそこにかつて住宅街があり生活があったこと を思うと絶句する。そこに生活の気配はまったくない。

仙台在住ダンサー優太くんの車の、かけてくれる音楽が次々良くてそれに救われました。
気持ちいい音楽をたくさん知っていることも、ダンサーとして役に立てることかな。


■長く長く

復興と一言で言っても、直後の、食べ物着るものがない状態を過ぎた今、ここにいる人たちは、絶望の大きさや深さを心の中にしまって日常を送っているのかもしれない。今日会った赤ちゃんを連れたお母さんたちも、震災後、必死で自分の子どもを守り、心配し、笑顔を見せてがんばってきたことは確かなわけで。また、今回案内をしてくれた仙台アルクトのメンバーのひとたちもそうだ。

そんな生活の中、カラダをほぐすことで心もほぐれて少しラクになる時間は確かに必要かもしれない。ダンスをしている人はみなそう思っているし、自分自身がそれを実感しているからこそそれを伝えたいと思っている。
でも今回、この被害の状況を目の前にして、私たちが信じてきたダンスというものが、伝わらないかもという覚悟も持たなければならないと思った。
それくらい想像を絶する状況だからだ。ただ、それで止まってしまっては何もならないので、少しずつ、いつも、長く長く思っていきたい。と思っている。


それと今回は、これまで一緒にワークショップをしたりしてきた吉野さん、山田さんと一緒で、行程のあいだたくさん話ができたことが貴重だった。
子育てセンターへ行く前の晩、もし少しでも何かしてもいい言われたらという想定で、あれこれ体をほぐす内容を話しあったり(たまちゃんは相変わらず骨格フェチ)見てきたことをたくさん話をした。山田さん、吉野さんありがとうでした。また実際に、仙台で活動しているアルクトのみなさんに会えたことも貴重だった。

過酷な状況下でワークショップ的なことしたいと思うとき、一緒に行くダンサーやコーディネーターのひとと信頼しあっていて、同じ思いを持っていることは普段以上に大事だと思った。

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