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2011年10月26日水曜日

妄人文明 檜原村「いこいの森ふじくら」オータムキャンプへ



2011年9月17日(土)~18日(日)の2日間、檜原村藤倉地区にある「いこいの森ふじくら」にて都市部と被災地の循環をテーマに活動しているグループ「まんまる」の主催する「まんまる檜原村オータムキャンプ」に行ってきました。

檜原村は村の80%が秩父多摩甲斐国立公園となっており、東京都にありながら岩魚や山女のとれる美しい川や、日本の滝百選の一つである払沢の滝など大自然が広がるところです。

今回のキャンプは、まんまるが震災以来定期的に交流している大倉保育園(いわき市)のこどもたちを檜原村に招き、放射能の影響により外で自由に遊ぶ機会がなかなか得られなくなっているいわきのこども達に自然の中で思いっきり遊んで欲しい。そんな思いから企画されました。

太陽光を利用してTシャツを作るワークショップ、インドネシアの影絵鑑賞、野菜と果物の酵素作りのワークショップなど子ども達向けワークショップも予定され、
妄人文明はダンスと音楽のセッションで一緒に体を動かしストレス発散してもらう為にダンサー譱戝大輔、亀田欣昌とミュージシャンのツダユキコ、田中慶一の四人で臨みました。
保育園児相手のワークショップは初めてのこと。いわきのこどもの心を癒すことは出来るのだろうか、不安はいっぱいですがココロをあわせて一緒に踊ろう!
そんな気持ちで行ってきました。

当日は見事な快晴。
檜原村ではちょうどお祭りが行われていて、お囃子や山車を楽しみながら車を走らせると村の一番奥まった集落、山の真ん中の旧藤倉小学校「いこいの森ふじくら」に到着。ここはいわき市出身の新宿区議会議員である根元二郎さんが借りている木造の古い小学校を改装した施設で、ジブリの映画に出てくるようなとても趣のある建物です。



残念ながら、今回福島からオータムキャンプに参加しに来てくれたのは一家族のみでした。四歳の女の子はなちゃんとお父さんの二人です。
二人にまんまるのメンバーとボランティア達を加えた総勢20人ほどのキャンプになりました。



自己紹介もそこそこに神戸岩という村内の名所で川遊びに出発。
もともと一枚岩が大昔の地殻変動で割れたという高い絶壁が両側にそそり立つ渓谷で、岩の切れ目つたいに遊歩道があり岩の向こう側に抜けることが出来ます。
最近ではパワースポットとしても注目されているらしく、癒しに来てることも忘れてすっかり癒されてしまいました。

岩を抜けた先の沢で川遊び、石を投げたり水を掛け合ったりしていると、いつの間にやら岩や水を叩いてパーカッション大会が開始。自然に生まれたセッションですっかり打ち解けることが出来ました。














この日ははなちゃんの音楽心に火がついたのか、いこいの森ふじくらに戻った後も夜遅くまで一緒にセッションしあいました。


二日目はドラムの田中慶一も合流し、頂のヘリポートとして使われている原っぱでワークショップ。当初はダンスのレッスンのようなワークショップを考えていたのですが、初日の雰囲気からこれは一緒に純粋に音楽と踊りを楽しもうと思い、一大セッション大会をすることにしました。20分ほどのインプロセッションを2セット。みんな思い思いに踊り始めます。


「雲になって踊ろーう」

ルールも無くテクニックも無く空と大地の間で動き回ると徐々に通じ合い、心が開放されていきます。言葉を必要としない音楽と踊りの醍醐味だと思います。
そしてはなちゃんの発想とパワーにも何度も驚かされました。子供はすごい。
まる一日たらずの短い滞在で、いわきの様子を詳しくうかがい知ることは出来ませんでしたが、こどもの持つ自由なココロを解放してあげたい、そのために音楽と踊りは有用であると感じました。

(妄人文明・善財大輔)

「まんまるオータムキャンプ」
主催:まんまる
協力:新宿区議会議員 根本二郎、大倉保育園
www.ooo-manmaru-ooo.com/

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2011年10月14日金曜日

仙台レポート-砂連尾理

仙台は私にとって、作品制作とワークショップで滞在した2003年以来、ほぼ毎年のように訪れる、とても縁の深い町です。今回、私は、その当時のワークショップ参加者であり、現在はARC>T(Art Revival Connection TOHOKU)こと、あるくと事務局員である千田みかささんのコーディネートにより9月12日から14日までの三日間、仙台に滞在し、ワークショップを行ってきました。
また、そのワークショップで私は、2007年のみやぎダンスでの作品制作がきっかけで知り合った、ダウン症の佐々木大喜さんと安藤共博さんにアシスタントに入ってもらうことにしました。その理由としては、単純に友人として彼等と接する時間を少しでも多く作りたいという思いが一番ではありましたが、彼等とはみやぎダンスで関わった以降も私の関わったプロジェクトに何度か参加してもらう機会があったことで、彼等にアシスタントしてのスキルが十分にあると感じていたことや、そんな彼等がアシスタントに入る、その意味をワークショップの参加者に感じてもらうことも、個人的には大きな理由でした。





さて、二日間行ったワークショップの、一日目は宮城県障害福祉センターで主に障害者施設に働く職員を中心に、そして二日目はダンスや演劇に携わる方を中心に10BOXで、それぞれ20名程の参加者とワークを行いました。
ワークの内容はストレッチを行った後は、二人一組でのコンタクトと物を使ってのワークを中心に行い、そして最後は皆で即興的に動きあいました。
ワークは二日とも緩やかに、そして朗らかな雰囲気の中行われ、個人的には二日とも良い時間を過ごせたような気がいたします。また、佐々木さんと安藤さんのアシストぶりもユニークで、彼等にしか生み出せない楽しい時間を演出!?してくました。
尚、一日目の模様はARC>Tの活動ブログの9月13日欄(の一番下の記事)に簡単ではありますが、あるくと事務局の千田優太さんが紹介してくれているので、そちらもご覧頂ければと思います。
http://arct.jp/blog_action.html#/list/20110913





また今回私は、仙台在住の友人であり、仙台メディアテーク活動支援室の室長である甲斐賢治さんを訪ね、震災当日のことやそれ以降のこと、そしてメディアテークが取り組んでいる様々なことを聞かせてもらいました。
そして私は、その取り組みの一つである“3がつ11にちをわすれないためにセンター”の活動メンバーに登録を行い、特に震災以降の生活について、(その活動主旨に賛同頂けた)佐々木大喜さんと彼の母親へ、彼らの声を後世に伝え、記録する為にインタビュー、撮影を行いました。
そのインタビューの中、佐々木さんのお母さんのお話を聞いていると、仙台に住む彼等は、同じ被災地でありながら、大きなダメージを受けた海岸線や、今なお放射能問題に苦しんでいる福島の人々に対して、非常に大きな負い目を抱え込んでいるなと感じました。同じ被災地であるが故に、またその大変さが身にしみて感じられるが故に、より深刻な人達への援助を相当頑張った上に彼等への気遣いもかなりされたのだろうなと思います。
だから、もしかすると仙台に限らず被災地の中でも比較的被害が少ないと思われている地域に住む人達の心の中で起こっている動揺は、私たちが思っている以上に深刻で、被害の甚大な地域同様、その安らぎを回復するまでには、かなりの時間を要する気がしました。そんな状況の中、直接の被害にはあっていない、東北地域以外の人達が、彼等のそばに寄り添い、ただただ話しを聞く時間を作ることはとても重要だと感じます。



佐々木大喜さんとお母さんのインタビューの模様は、ただ今編集中で、間もなく仙台メディアテークのホームページ上にてアップの予定です。
http://recorder311.smt.jp/  (11/2公開されました。)


震災後、3.11から丁度半年すぎた一日目の9月12日に、ようやく仙台入りすることが出来、先ずは知り合いの、しかも私に直接声をかけてくれた人達と手を取り合い、そこでの恊働作業を行うことから私の復興活動は始まりました。今回、僅か3日間の滞在ではありましたが、私は仙台で見たことや感じた事を私の身の周りの人々に出来るだけ伝えていきたいと思っています。そして、そこでのレスポンスを仙台の人達にも伝え、取りあえず、仙台と私の周辺の人々が双方向に行き交うネットワークを作り、そこで生まれた関係性を継続し、広げていく事で、仙台、東北のことだけでなく、3.11以降の日本の未来について共に模索していけたらと考えています。

次回の仙台訪問は12月の半ばを予定しています。

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