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2012年8月24日金曜日

東日本からの避難者を対象とした、からだほぐしワークショップin京都~ 3月・4月・7月 の レポート~ Dance&People 五島智子

はじめに
2012年6月現在、東日本から京都府へ避難している人は800名余り、未登録の人を含むと千人位だろうと言われています。
(震災以降、京都府は県を問わず避難者を受け入れてきたが、2012年6月以降は福島県に限定されています)
京都に避難移住している方に対して、何か身体ほぐしのようなことが出来ないか?と考えていましたが、避難者の方々はどこに住んでおられるのか?なかなかわかりませんでした。2011年12月末、京都市内で「避難の権利」という集会があり、そこで福島から避難されて来た、避難者と支援者を結ぶ会「みんなの手」代表者の西山さんにお会いすることができました。年が明けてから、公団住宅の集会所や他の場所で、避難移住されてる方から今どのような状況で暮らしておられるのか?また、元々住んでおられた地域は、どん状況なのか?というお話をお聞きすることから始まりました。

放射能被爆から逃れてきた母子避難の方が圧倒的に多いこと、何か集まりをしようとしても、団地等の集会所が自由に使えるわけではないこと、居住地と離れた場所での催しには出かけにくいこと、目の前にある心配事としては、まずは子供の健康(諸々の診断)、子供の教育(どこの保育園幼稚園・小学校へ行くかなど)、今後暮らす所が未定、経済的な不安(多くの人が二重生活)、仕事の確保の難しさ等々があり、身体ほぐしをするとか自分の身体に気持ちを向ける余裕などはあまり無い、などのお話をお聞きしました。京都府や市の対応に心から感謝していると言う方もおられる一方で、「周囲の住民にものすごく気を使いながら暮らしていかねばならない(イケズな待遇に会ったりした)」「これ以上、京都府には迷惑はかけられない」と感じている方もおられ、京都で暮らす私として複雑な心境でした。

「みんなの手」との出会いにより、2012年2月24日、京都市内の某神社の社殿で行われた「ちいさなつどいテトテ」という集まりに参加しました。主催は宮城から移住してこられた清水かなさん。
その日は、免疫力を高める食べ物飲み物を日常の素材で作るという内容で、私が遅れて伺った時は、米のとぎ汁の乳酸菌飲料や排出力を高める雑穀や木の実を炒ったおやつが出来ていました。「ちいさなテトテ」は、まずは避難者同士が交流できるようにという目的で開かれ、震災後生まれた赤ちゃんから70代まで十数名ほどが集まっていました。京都府下ですでに農業を始めている方もありましたが、二重生活と新しい環境での子育て中の多くの若いお母さんは働くことも出来ないし、大変だなと実感しました。福島には、浜通り、中通り、会津の地域があることや「会津の三泣き」についてシニアの方から興味深く聞かせて頂いたりしました。70代の方は、自分たちは戦争体験者だから今回の震災でも大丈夫だ、元々何も無い所から這い上がってきた、我々世代は、子どもたちに戦時下の話や昔の事をもっと伝えて行かねばならない、とおっしゃっていました。清水さんとお話し、3月からこの集いの午前中に身体ほぐしをやってみることになりました。

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「ちいさなつどいテトテ」にて
【からだほぐし 1回目】
タイトル『親子でからだをつかってあそぼ!』
日時:2012年3月23日(金)10:15 オープン 10:30~11:45まで 
場所:京都市内の某神社 社殿内 
ナビゲーター: 黒子沙菜恵
参加者:大人4人 (茨城 2人、宮城 2人)  子供 2人   計6人
☆内容(黒子レポート): 
●ゆっくり感じてみよう。
大きく呼吸してみる、あくび、ふにゃふにゃ手と足、2人で手をつないでゆるゆる
と動く、 大きく呼吸して腕を大きく広げてみたり。
手の平マッサージ、その手を顔にピタピタ、他の所にもピタッ。近くの人のも。
そこからマッサージ大会に。みんなでゴシゴシとして混ざり合う。
●座って二人組になる
タッピングしあう。背中合わせになる。
向かい合わせで手をつなついでゆらゆら。そこから立ったり座ったりする。
●畳の上でごろごろする人をもう1人が動かしてあげる
●さんぽ
歩く→だんだんと変てこな歩きになっていく。
合図で止まる。→止まった時に誰かにタッチする
●二人組になって手と手がくっついたまま動くダンス。

☆清水さんの感想
沙菜恵さんのワークは、まるで子供に帰ってゆくような感覚になれました。頭の中が、からっぽになり、みんなとのスキンシップも楽しかったです。
身体も、心も、ふんわりほどけて、癒されて、心地よい時間を過ごすことができました。
そして身体を動かすことがこんなに楽しいということをあらためて確認しました。

☆黒子さんの感想
子供と親のからだほぐしのws。雨の音が心地よく聴こえる畳の部屋。
場所の雰囲気だけで、もう何も気負わなくていいようなそんな感じになりました。
参加者の方も必然的にカラダがそう感じたのか、大人がまずリラックス出来て楽しいと思えていたら、子供はそこに直接参加しなくても、その様子をカラダで察知している。
そしてそれは少しずつ一緒に混ざりあっていく。そんなことが起こっていた、何ともいい雰囲気の時間でした。

どんな場所でも、時々頭をからっぽにして
男女も世代も環境も関係なく、カラダを置いてみること、
そういう時間がとっても大事なんだと感じた時でもありました。

☆制作 五島智子 メモ  
午前中、はじめは、参加しなかった3歳くらいの男の子が終りの頃になって、部屋の中を走り出しかくれんぼを始めた。その子は、花粉症でずっと咳き込んでいて、痛々しかったのだが、子どもが伸び伸びできる場は本当に大事だと感じた。「一体どんな内容なんだろう?」と緊張気味だった参加者のお母さん達も終了後はとても和やかだった。それにしてもこの18畳の社殿は、天井も高く、障子が外の光を適度に取り込んでくれて、本当に素晴らしい。古都ならでは空間だと思う。京都に住みながら全然知らないことの多さよ。午後からは、仙台でシュタイナーの学校をされている方が見え、仙台での状況や、地震の日の学校での子供たちの様子を話して下さった。机の下にもぐり、「大地のお母さま、お鎮まりください!」と子供たちと一緒に何回も繰り返し、祈り叫び続け、地震のおさまるのを待ったというお話は、非常に印象深かった。



【からだほぐし2回目】
タイトル『大人もこどももヨガストレッチであそぼう♫』
2012年4月13日(金)10:30-11:50頃
ナビゲーター :ニイユミコ 
参加者:大人7人 (福島 4人、茨城 2人、宮城 1人 )子供3人 計 10人


☆内容:鈴が静かに小さく鳴るところから始まった。
座位にて、ゆっくり呼吸。手や首や肩や目玉や顔、足、腰、など。。。それぞれを
呼吸と共にストレッチしたり、マッサージしたりした。目玉のストレッチは、かなりよく利いた。
顔のもみほぐしも参加者はとても気持ちよさそうだった。
あっという間に11時半になり、残りの20分をもう一つヨガのポーズをやるか?全く違うアフリカンをやってみるか?どっちがいいですか?とニイさんが尋ねてみると、全員が「アフリカン」に挑戦したいと言う。それでは、と、全員が円になって立ち、CDをかけながら、単純なステップを繰り返したり、移動したりを始めると・・・どんどんみなさんがやり出した。セネガルのダンスの先生の、日常生活の中での「歩く」ということがダンスの基本になってる、という話をニイさんから聞くと、深くうなづいていた。
まさか、ここでアフリカンダンスを体験するとは!と予想外の楽しさだったよう。
3時間おきに赤ちゃんにおっぱいをあげるので、ずっと不眠と肩こりに悩まされていたという若いお母さんが、すっきりしました、と感想を言ってくれた。
お昼は、ニイさん手製のおからケーキを食べたり、それぞれのおにぎりと持ち寄りのおかずをいただきました。
水戸や宇都宮から避難されている方のお話では、「避難する人」自体がものすごいマイノリティーで、「避難」のヒも言えないのが現状だとお話を聞いた。
午後からは、神社のあちこちを若い宮司さんの説明つきで、見学させていただいた。桜がとても美しく、参加者にとっても心休まるひと時だった。京都に長年暮らしている人間にとっても初めての神社見学でした。


☆清水さんの感想:日頃固くなった身体をゆっくりほぐすことができました。
そしてアフリカンダンスを体験しました。アフリカのリズムにあわせて身体を動かすことがこんなに楽しいなんて驚きでした。汗をいっぱいかいて、気がついたら参加者全員
笑顔!になっていました。踊ったりすることで、前回同様頭の中が空っぽになり、リフレッシュができて素晴らしい時間でした。


【からだほぐし3回目】
タイトル『ストレッチヨガとアフリカンダンス』
2012年7月13日(金) 10:50-12:00
ナビゲーター: ニイユミコ 
参加者: 大人 5人 (福島2人、茨城 1人、宮城1人)子供(4人)計9人  



☆ニイユミコのレポート
集まりのタイトルが「小さなテトテ」から「おひさまのまなざし」と改まり新しくスタートしました。

まず、最初に宮司さん(代々継いでいる方)のご挨拶がありました。「京都は地震ないって言わはるけど、そんなことないよ。地震で壊れて立て直された神社仏閣は色々あるし、活断層も走ってます。まあ、いろいろ安心できない所もありますが、これからも前を向いてがんばっていけるようにここもみんなで楽しく使ってください。」参加者の方が遅れてこられたりしていたので10:50分くらいまでこのようなお話をされました。

参加者は、1、MFさん、途中保育園にお迎えに行かれてお子さんのHちゃん、Sちゃんも来ました。
2、Eさん、二人のお子さんと。
3、Mさん、Sちゃんと。
4、Tさん(お一人です、2人の男の子のママ)
5、Kさん

ワークショップ後のおにぎりタイムに ウクレレのショーンとKさん(手作りの紫蘇ジュースを持参)の参加。

WS内容、
1、座位でのストレッチ。
円になって座り、お尻で歩く。前進、後進、左右進。 
右足の指に左手の指を組んで、ゆっくり足首回し。反対回し。次、左足の付け根に足先を持ってきて前屈。左も同様に。
◎吐く息で身体がゆるんで吸う息で膨らむのを味わう。
膝を曲げて両膝が並ぶ様に内側に倒し前屈。左右行う。
肩回し、首回し。
合蹠、蝶々運動。

寝転がって、ストレッチ。両膝を立て、右足を左脚膝上に引っかけ呼吸に合わせて左足を胸に近づける。左右何度か繰り返す。
両膝を立て(脚幅広めにとる)、右膝を内側に倒し、出来れば床に着ける(可能な範囲で着けようとする)。左右何回か繰り返す。

逆転のポーズ、ハラアーサナ。

2、立って
屈伸でゆっくり膝を伸ばす。上半身を揺らすストレッチ。膝回し(外内回)、脚幅をかえて。腰回し。
アフリカ音楽にあわせて歩きながら、手を放り投げなげストレッチ、前左右後。 アフリカンダンスのステップを何種類か行う。

輪になって手をつなぎ、一つの波になって揺れる。
足の小指を合わせ お互いの背中に手をあて呼吸をする。

終了

Eさんのお子さんは年長さんと一年生くらいで、お姉ちゃんの方は立ち上がってから好きな動きだけを真似していました。
全体的に、皆さん前向きに参加されていて アフリカンのステップも 手足バラバラになりつつも辞めないで続けていました。「はじけるのいいです」とかなさん。
腰を落として股関節、他の間接も緩めてバウンドして膝を外内にブラブラ動かして緩める動きは、「家でも出来るねー」とやりながらみんな相づち。
赤ちゃん連れの女性から、「今日は、子どもにおっぱい上げるので、途中から横でみながらの参加でしたけど ヨガやって腰の痛みが取れました」とのこと。
そんなに動いてなくても、呼吸をして身体に意識を向けて過ごす時間で変化があるのはうれしかったです。
参加者の様子(お子さんも含め)を見つつですが、バンダ(会陰のあたりを引き上げる)は自然治癒力を高めて腰も守るのでバンダの状態保ちつつ太陽礼拝を次回はやってみたいなと思いました。

その後の「おにぎり会」もすごく大切な時間でした。WS中はゆっくり話は出来ないので、参加した人のいろんな話が聞けて参考になる話もいっぱいで毎回あったらいいなと思いました。 

Kさんは 個人的にリンパマッサージをされていて前回した顔のストレッチがどんなんだったか聞かれてヨガの眼球動かすのを一緒にやって「きついですねー、やった事無い感じです」との感想。       

☆清水さんの感想
一緒に飛び入り参加する子もいました。
ゆっくり身体を伸ばしてゆきました。日頃使わない筋を伸ばすことができて、身体が軽くなりました。前回も体験したアフリカンダンスも、純粋に楽しかったです。大人が楽しそうにしているので、気がついたら子供達も飛び入り参加する子もいました。踊って汗をかくことの爽快感といったら最高でした。

(7月13日、制作は不参加)



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8月は帰省などが多いので集いは休みとなったが、9月以降も「からだほぐし」は続きます。京都府に避難している人が約千人も暮らしているということは、あまり知られていないかもしれないです。「故郷を捨てた」と責められている方、「子供が高校を卒業して何とか自立したら自分たちは早く福島に戻りたい」と言う50代のお母さん、関西で子供が成長するまで家族バラバラでも暮らすと言う方、福島の子供を関西に疎開させたいと言う方、子どもが学校に通っている時間帯で仕事を探している方、子どもが鼻血が出て心配だと言う方、家が流されたからもう京都で何とか暮らすしかないと言う方・・・時間がたつにつれて、避難移住している方の希望や意見もどんどん多様になっていくのを感じます。避難,一時避難、移住など、言い方も様々。
この集いではないですが、福島市から来られた方のお話では、2011年の6月の時点では、放射線量の高い地元で「子どもを避難させる」という話は出来たが、2011年秋になると、「避難」という言葉を口にすることすらし難しい雰囲気があったそうです。福島で現実に被ばくした子供が暮らしていること、被ばくした子供のことを忘れないでほしい、という言葉を忘れてはいけないと思います。そして、本当に細々とした活動であってもこれを継続して、そのことを通して報道されない事実や生活者の現状を知り、ダンスや身体や表現に関わる者に何が出来るのか?考え、行動していこうと思います。

2012年8月



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2012年3月27日火曜日

日本カウンセリング学会ボランティアチームとの石巻訪問報告-吉野さつき

AVN311のコーディネーターの吉野です。
1月に石巻に行ってきた報告です。諸事情で報告が遅くなり申し訳ございません。

日本カウンセリング学会のボランティアチームによる石巻の仮設住宅での、カウンセリングと足湯カフェの活動の際に、現場でダンサーと合流してなにかできないか、とのお声がけをいただき、状況を把握するために、二人のカウンセラーの方の活動に同行してきました。

場所は、追波川河川運動公園多目的広場応急仮設住宅です。
このチームは、他にもう一ヶ所近くにある仮設住宅にも、他のメンバーと交代で通っています。

また、カウンセラーのチームだけではなく、同じ日に、地元の訪問医療チームも入る形で、同じ集会所の一部屋で、医療相談チームと、カウンセラーチームがゆるやかに連携して活動しています。

朝10時少し前に両方のチームが到着して、まずカウンセラーチームは足湯カフェのチラシを各家のポストに配付します。医療チームは、気になる方のお宅に声がけをしに回ります。


10時を少し過ぎると、一人二人と住民の方々が集会所を訪れます。
この日は午前午後で8名ほどでした。
多くが60代ぐらいから70代ぐらいの女性、一人二人30代から40代くらいの方もいました。男性は一人だけ。
心の病もしくは障害を抱えている様子の方も二人ほどいました。もともとなのか震災が原因なのかはわかりません。

まずは医療チームの方々が、健康状態やお薬の相談などの話を聞いたりします。
医療チームの方によると、高血圧、生活不活発病(普段の生活の中で動かなくなってしまったので)に関係する症状が多いそうです。
それと、かなり増えつつあるのがアルコール依存で、主に男性が多いそうですが、表に見えてこないだけで女性も増えているだろうとのことでした。それと、不眠症。睡眠導入剤などのお薬に頼ることを我慢してしまいがちな方多いそうで、今回は薬剤部長の方が、「眠れない時は我慢しなくていいんですよ。必要ならこの場でお薬を出しますから。」とおっしゃっていました。


比較的年配の女性は、他の人たちとおしゃべりしたいという感じもあって、こうした場に出て来られるようですが、アルコール依存や心の病などを抱えている方、そうした心配のある方は、なかなか家から出てこないため、把握やケアが難しいようです。

カウンセリングもいきなりだと話を聞くことができないため、足湯カフェという形で、マッサージを受けたりお茶を飲んだりしながら自然と話ができるような場にしたそうです。



足湯カフェコーナーでは、小さなコーヒーミルや、香りのよいフレーバーティや茶菓子、コップもいろいろな可愛い色形の陶器のものを、カウンセラーの方が大きなスーツケースで持参して、マッサージの際にも気持ちを落ち着かせるアロマ系のクリームやオイルなどを使用されていて、少しでもほっとできる空間を作るようにいろいろ工夫されていました。





ほとんどの訪問者の方が、午前中に来て、お昼を食べに戻った後、午後にもまたやってきました。他の住民の方や看護士さん、カウンセラーの人たちと、お茶をのみながらおしゃべりをするためです。
話の合間に、看護士さんはさりげなく体調やお薬のことも聞き、カウンセラーの人たちはマッサージをしつつ合間に一緒にお茶を飲みながら話を聞きます。






75才になる女性は、震災前までは貝の加工などの仕事をしていたそうですが、現在は仕事がなく、「腕とかあっちこっちポチャポチャしてきちゃったよー。」と言い、マッサージされている手を指して「いっぱい働いた手だべ。」とも言っていました。本当はまだ働きたかったそうです。





医療チームのメンバーは、石巻と雄勝という町の病院からの合同で、どちらの病院も津波で被災しています。1月の時点ではまだ他の病院に仮の居場所を持って活動していました。メンバーのうち一人は他の仮設住宅に住んでいて、もう一人は他の場所に仮住まい、一人はその母親がこの仮設住宅に住んでいる、という状況でした。

医療チームはあちこちの仮設住宅を回っているそうですが、数が多すぎて、同じ住宅にはひと月に一回しか回ることができない、避難所から仮設に来た人については前もってケアが必要な人をある程度把握できていたが、家に戻ってしまった独居老人などについては全くケアができない状況にあるとのことでした。

お昼に、医療チームとカウンセラーチームだけになった時、そうした現状についての話を聞きました。話の途中、何度か、全員が大きなため息をつき、沈黙していました。



今回は、足湯カフェのお手伝いをしながらこうした状況を把握してきましたが、次回から継続して入れそうなダンサーの方も一緒に行って、足湯カフェの延長線上のような形で少し身体をほぐしたりすることが同じ集会所の中でゆるやかにできるといいのではないかと思いました。

また、何度か通って、キーパーソンになる方とのつながりを作り、もう少し年齢層の広い人たちが参加してくれるような活動を企画したり、カウンセラーや医療の方とも一緒にできる内容を組んでいけ
たらと思います。また、医療チームの方などケアする人のケア的なプログラムもできるようになるといいかと思いました。ただ、そのための信頼関係を築くのに少し時間が必要な気もしました。カウン
セラーの方にも言われましたが、「無理なく、ゆっくりやれる活動」を目指すのがよさそうです。

以上で報告を終わります。

吉野さつき

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2012年3月16日金曜日

福島県伊達市小学校でのボランティア公演とワークショップ-佐藤道代


2月20日、21日に行った、福島伊達市 石田小学校、大石小学校でのボランティア公演とワークショップは、踊っている私たちが元気づけられるような、大変楽しいものになりました。


<プログラム紹介>
1月13日の新浦安「愛・イサドラ・ダンカン・ダンス」で観客と一体になって作った命のエネルギー=愛を、福島に届けようと、イサドラ・ダンカン国際学校メンバー、佐藤道代、友希、島浩子で、ミニ・コンサートをしました。特に、福島の大地を想って創作した「大地の詩」では、途中から、子どもたちが踊りに参加!耕した大地に水をやり、伸びる種を元気いっぱい踊ってくれました。
後半のワークワークショップでは、「いのちの故郷、福島はここに今もあること、そしてそこに生きる自分自身を大切にしよう。」というメッセージを、ダンカン・ダンスの基本である、ユニバーサル・ムーブメントを踊る中で、皆で呼吸と共に感じました。後半は、福島伊達市にある霊山の風、山、祓川や石田川の清らかな水、きらめく太陽の光の力を表現してもらい、福島の大地から伸びる種=子どもたちを、元気いっぱい踊ってくれました。

元々、自然の万物を踊ることを通して、子ども達の中にある、いのちの総合的力、多元的な能力を育てたいと思ったイサドラ・ダンカン。自分のダンス学校を、「School of Life:いのちの学校」と呼んでいました。現在アメリカの教育界では、ハーバード大教育学博士のハワード・ガードナーが、MI理論(多元的知能理論)の中で、「言語的知能」「言語」「論理数学的知能」、「音楽的知能」「身体運動的知能」「空間的知能」「対人的知能」「内省的知能」「自然的知能」など、子どもの多元的な力を伸ばす教育をアートで行うことを提案していますが、この多元的知性の力、石田小、大石小の子供達は、大変高いと感じました。

自然の四大元素に溢れる福島の豊かな土地で育った子供達には、踊る時に余計な説明の必要はありませんでした。いつも見慣れている、山、川、太陽、そして風の事を思い出してもらうだけで良かったのです。この子どもたちの本来持っている、自然とつながる知性は、長年、子どもたちの内面に培われてきた力だと感じました。これは、原発事故があろうとなかろうと関係ありません。このように育っている福島の子供達の内面の命の力の強さに、福島の明るい未来を確信しました。

その力が原発事故で委縮してしまわないように、引き続き育ち続けるように、ダンスでお手伝いがしたいと強く思いました。

<校長先生のご感想>
「子どもたちのあんな笑顔を見る機会は今まで多くありませんでした。心と身体が解放されている時間をありがとうございます。」「この子供達が将来的に重荷を負ってしまったのは事実だが、これを機会に、世界に目を向けて、自立して生きていけるように、色々な人や職業に触れ、沢山の機会を与えたい。今度は、カリキュラムの中に組み込めるように、是非ご協力下さい。」という言葉を、石田小学校の村田校長先生から頂きました。

大石小学校の佐藤先生は、「うちの子たちは引っ込み思案かと思っていたのに、あんなに踊ってびっくりです。引き出して下さってありがとうございます。」「控え目で、表現する場が余り無かった子どもたちだが、これからは、復興に向けての子供達の意欲を外に向けて伝えられるような場を創りたいので、又協力して下さい。」との声を頂きました。


<福島の小学校の生活>
石田小学校では、「ひきな炒り」という大根とにんじんを甘辛く煮た、福島特有のおかずを含むおいしい給食も頂きました。内部被ばくを避けるために、材料は全て検査して調理していました。地元産の農産物も全て全戸数検査を始めていて、放射線量は市場に出る前にチェックしているので、福島産は安心だなと感じました。

校庭には、線量計があり、リアルタイムで文科省に報告しています。大石小学校は、最初から放射線量は低めで、現在も0.1程なので、校庭での活動も再開していました。
石田小学校は、校長室の裏側に線量計があり、校長先生が窓からいつも眺めてチェック出来ています。0.28で村田校長先生は、「今日は高いです。」とおっしゃっていました。それでも、野外活動は一日一時間に限り、スクールバスで送り迎えをするなど、年間の被ばく量が1ミリシーベルトを超えないように、大人がとても気をつけていました。このような「福島の子どもを守る」という姿勢と努力があるからこそ、子どもたちが、すくすくと育っているんだな、と感じました。

両学校とも、とても文化的な雰囲気で、給食室やステンドグラスのある校舎に、29名の子供達が学ぶ石田小学校では絵画や図工、短歌の作品が美しく並んでいました。霊山の山の麓に36名が学ぶ大石小学校では、天蚕という幻の蚕を飼育して子どもたちが創ったオブジェが可愛かったです。

葛西にある福島のアンテナショップで、職業体験として物産を売った時に、プレゼントしたら、飛ぶように物産が売れたとの事でした。

どちらも地域の方と共に子供達を育てて行こうという意欲に溢れていて、アメリカにあるチャータースクールや、日本の大都市にある地域参加型の私立校と同じような感覚でした。学校は「集いの場」なんだなと改めて思いました。イサドラ・ダンカン国際学校も、そのような共に育てる集いの場にしていきたいなと思いました。

1月13日の「愛・イサドラ・ダンカン・ダンス」で集まった義援金61,000円にイサドラ・ダンカン国際学校やフィオリータからの寄付金を足したお金を、それぞれの学校に寄付しましたら、「子供達のために使わせて頂きます。」とても喜んでくれました。又、子供達には一輪ずつバラをプレゼントし、皆、笑顔で受け取ってくれました。是非、又福島に行って、元気な子どもたちと踊りたいと思います。


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