今回、こういった子どもを対象にしたワークショップを開催する事に至った経緯として、ARCTが今後、仙台のみならず東北一帯の学校や児童館にワークショップを行っていく際、そこに関われるアーティストを一人でも多く養成しておきたいという考えがあることから始まりました。そういった主旨の元、ARCTの千田みかささんが今までの私の経験を仙台のアーティストにも是非伝えて欲しいというリクエストに応える形で今回のワークショップが実現しました。
そして今回も前回に引き続き、みやぎダンスの佐々木大喜さん、安藤共博さんをアシスタントに付いて頂きました。参加者は全員で13名でした。演劇関係者やダンス関係者だけでなく、ダウン症のお子さんをお持ちのお母さんも参加されていました。
ワークの内容は先ず、じっくり自分の呼吸について観察するワークから入り、脱力を試みるワークを行いました。例えば、タンゴの曲に合わせて手足をマラカスにして動かしてみたり、一人が横になり、手足首の箇所をそれぞれ一人ずつに揺らしてもらいながら、どこまで相手に身を委ねるか等を行いました。一つ一つを丁寧に、ワークと意見交換の往復をしながら、皆で他者やその周りの環境との関係作りについて色々と考察していきました。
ワークの終盤は、線香を使って色々動いてみました。線香の煙を紐に見立てて動いてみたり、また動きによって煙の模様がどんな風に変わるかのお題を与えたところ、参加者の皆さんはそれぞれとてもクリエイティブな動きをしながら煙と戯れていました。
そして、最後はボレロの曲に合わせて即興的に線香ダンスを皆で踊りました。豪華なボレロと繊細ではかない煙という何だか変な結びつきでしたが、とても楽しい時間になりました。
また、ワーク終了後に、残れる人だけではありましたが、初心者に対する心構えや学校での対応についての質問があり、今までの経験談や僕なりの方法論を話す時間を、少しではありましたが取れたことは良かったと感じました。
身体ワークを通して、話し合う時間が持て、それによって人と人の繋がりが生まれ世界が広がっていくことは、どんな場でも重要ですが、特に大きな震災を体験した場所ではより一層重要な気がしました。
また今回、私は翌日の17日に名取市文化会館に立ち寄り、ホール関係者に会う機会が持てました。名取市文化会館は今回の震災で大きな被害を受けた会館の一つです。私の訪問時も館内の大ホールは未だ復旧の準備中で、ホールの中には未だに避難所時に使用していたと思われる毛布入れの箱がありました。
この会館と私の繋がりは2006年秋に、「砂連尾理+寺田みさこ」のワークショップと公演を開催したことが始まりです。そして、その時のワークショップが縁で、みやぎダンスの定行さんや、彼と一緒に参加してくれた今回のアシスタントである佐々木大喜さんとも出会うことができた、個人的にはとても思い出深い会館です。
実は当初、今回の滞在で、ここに立ち寄る予定はありませんでした。というのもこの会館が私にとっては、思い出深い場所ではあるものの、行政が関わっているホールだけに、さすがに5年前の担当者が引き続き留任されているとは思えなかったことや、また、そんな個人的な思いだけでこの時期、訪問するには現在着任されている担当者に迷惑がかかるのではと思い、気が引けていたのです。ただ、空港に向かう途中、取りあえず会館まで行き、その姿だけでも見て帰ろうと思い立ち寄りました。
そんな誰ともアポも取らず、急な訪問だったにも関わらず、この4月から着任されている事業企画担当の渡邊由香さんは丁寧に対応して下さいました。帰りのフライトの関係で、話しを伺えたのは僅か1時間弱ではありましたが、会館が避難所だった当時の話や、そこで芽生えた劇場と住民の新たな関係、住民同士の対話等、この間の話しを色々して下さいました。また震災時、彼女の前任地であった南相馬市民会館ゆめはっとのこと、実家の閖上での体験等、震災、原発にまつわる様々な貴重な話しも聞けました。
この話しの詳細に付いては、私の拙い筆力ではうまく伝えきれないと思い、次回の訪問時に、仙台メディアテークの協力を仰ぎ、改めて今回伺った話しを映像に納め、メディアテークの特設サイトである“3がつ11にちをわすれないためにセンター”から発信しようと思っています。その時には震災が起こったが故に生まれた住民との対話や意識の変化等を中心に、改めて地域に於けるアート、文化、劇場について伺えたらと思っています。
そして、これを機に仙台に加え、今後は名取とも何かしら関わっていけたらと考えているところです。
前回9月の訪問から3ヶ月が経ち、9月時はまだ復旧していなかった仙台空港アクセス線が再開していたり、瓦礫も徐々に撤去され荒れ地も整地され始めていると聞きましたが、僅か2日間の滞在で感じたことは、改めて東北の人々が抱えている今回の震災のよる傷の深さ、そして未だに収束の見通しが立たない原発事故における影響の大きさを実感しました。
たとえ壊れた鉄道が治り、荒れ地が整地になっても、地震や津波による被害が他の地域に比べ、それほど甚大ではなかったと思われる仙台市内中心に暮らす人々にとってさえ、その当時に受けた心の傷は、癒え難く、その回復にはまだまだ時間が掛かるのだなと強く実感しました。そのことを感じ、考え続けていくためにも、私は引き続きこの地とここで暮らす人々と関わり続けていきたいなと考えています。
追伸:前回に引き続き、佐々木大喜さんと彼のお母さんである博美さんにインタヴューを行い、映像に収めました。その映像は現在Youtubeにアップされ、間もなく仙台メディアテークのサイトからもアップされる予定です。
良ければご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=W1qTOflOdXk
http://www.youtube.com/watch?v=5yfw51Hzz_c
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