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2012年3月16日金曜日

福島県伊達市小学校でのボランティア公演とワークショップ-佐藤道代


2月20日、21日に行った、福島伊達市 石田小学校、大石小学校でのボランティア公演とワークショップは、踊っている私たちが元気づけられるような、大変楽しいものになりました。


<プログラム紹介>
1月13日の新浦安「愛・イサドラ・ダンカン・ダンス」で観客と一体になって作った命のエネルギー=愛を、福島に届けようと、イサドラ・ダンカン国際学校メンバー、佐藤道代、友希、島浩子で、ミニ・コンサートをしました。特に、福島の大地を想って創作した「大地の詩」では、途中から、子どもたちが踊りに参加!耕した大地に水をやり、伸びる種を元気いっぱい踊ってくれました。
後半のワークワークショップでは、「いのちの故郷、福島はここに今もあること、そしてそこに生きる自分自身を大切にしよう。」というメッセージを、ダンカン・ダンスの基本である、ユニバーサル・ムーブメントを踊る中で、皆で呼吸と共に感じました。後半は、福島伊達市にある霊山の風、山、祓川や石田川の清らかな水、きらめく太陽の光の力を表現してもらい、福島の大地から伸びる種=子どもたちを、元気いっぱい踊ってくれました。

元々、自然の万物を踊ることを通して、子ども達の中にある、いのちの総合的力、多元的な能力を育てたいと思ったイサドラ・ダンカン。自分のダンス学校を、「School of Life:いのちの学校」と呼んでいました。現在アメリカの教育界では、ハーバード大教育学博士のハワード・ガードナーが、MI理論(多元的知能理論)の中で、「言語的知能」「言語」「論理数学的知能」、「音楽的知能」「身体運動的知能」「空間的知能」「対人的知能」「内省的知能」「自然的知能」など、子どもの多元的な力を伸ばす教育をアートで行うことを提案していますが、この多元的知性の力、石田小、大石小の子供達は、大変高いと感じました。

自然の四大元素に溢れる福島の豊かな土地で育った子供達には、踊る時に余計な説明の必要はありませんでした。いつも見慣れている、山、川、太陽、そして風の事を思い出してもらうだけで良かったのです。この子どもたちの本来持っている、自然とつながる知性は、長年、子どもたちの内面に培われてきた力だと感じました。これは、原発事故があろうとなかろうと関係ありません。このように育っている福島の子供達の内面の命の力の強さに、福島の明るい未来を確信しました。

その力が原発事故で委縮してしまわないように、引き続き育ち続けるように、ダンスでお手伝いがしたいと強く思いました。

<校長先生のご感想>
「子どもたちのあんな笑顔を見る機会は今まで多くありませんでした。心と身体が解放されている時間をありがとうございます。」「この子供達が将来的に重荷を負ってしまったのは事実だが、これを機会に、世界に目を向けて、自立して生きていけるように、色々な人や職業に触れ、沢山の機会を与えたい。今度は、カリキュラムの中に組み込めるように、是非ご協力下さい。」という言葉を、石田小学校の村田校長先生から頂きました。

大石小学校の佐藤先生は、「うちの子たちは引っ込み思案かと思っていたのに、あんなに踊ってびっくりです。引き出して下さってありがとうございます。」「控え目で、表現する場が余り無かった子どもたちだが、これからは、復興に向けての子供達の意欲を外に向けて伝えられるような場を創りたいので、又協力して下さい。」との声を頂きました。


<福島の小学校の生活>
石田小学校では、「ひきな炒り」という大根とにんじんを甘辛く煮た、福島特有のおかずを含むおいしい給食も頂きました。内部被ばくを避けるために、材料は全て検査して調理していました。地元産の農産物も全て全戸数検査を始めていて、放射線量は市場に出る前にチェックしているので、福島産は安心だなと感じました。

校庭には、線量計があり、リアルタイムで文科省に報告しています。大石小学校は、最初から放射線量は低めで、現在も0.1程なので、校庭での活動も再開していました。
石田小学校は、校長室の裏側に線量計があり、校長先生が窓からいつも眺めてチェック出来ています。0.28で村田校長先生は、「今日は高いです。」とおっしゃっていました。それでも、野外活動は一日一時間に限り、スクールバスで送り迎えをするなど、年間の被ばく量が1ミリシーベルトを超えないように、大人がとても気をつけていました。このような「福島の子どもを守る」という姿勢と努力があるからこそ、子どもたちが、すくすくと育っているんだな、と感じました。

両学校とも、とても文化的な雰囲気で、給食室やステンドグラスのある校舎に、29名の子供達が学ぶ石田小学校では絵画や図工、短歌の作品が美しく並んでいました。霊山の山の麓に36名が学ぶ大石小学校では、天蚕という幻の蚕を飼育して子どもたちが創ったオブジェが可愛かったです。

葛西にある福島のアンテナショップで、職業体験として物産を売った時に、プレゼントしたら、飛ぶように物産が売れたとの事でした。

どちらも地域の方と共に子供達を育てて行こうという意欲に溢れていて、アメリカにあるチャータースクールや、日本の大都市にある地域参加型の私立校と同じような感覚でした。学校は「集いの場」なんだなと改めて思いました。イサドラ・ダンカン国際学校も、そのような共に育てる集いの場にしていきたいなと思いました。

1月13日の「愛・イサドラ・ダンカン・ダンス」で集まった義援金61,000円にイサドラ・ダンカン国際学校やフィオリータからの寄付金を足したお金を、それぞれの学校に寄付しましたら、「子供達のために使わせて頂きます。」とても喜んでくれました。又、子供達には一輪ずつバラをプレゼントし、皆、笑顔で受け取ってくれました。是非、又福島に行って、元気な子どもたちと踊りたいと思います。


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2012年3月8日木曜日

2012.01.29 仙台市扇町4丁目仮設住宅被災地支援プログラム報告 みやぎダンス定行俊彰

■日時.場所.スタッフ
日時:2012 年1 月29 日日曜日10:30~11:45
場所:仙台市宮城野区扇町4丁目仮設住宅全80戸
指導:岩下徹
サブスタッフ:定行俊彰定行雅代
参加者:仮設住宅居住者10 名見守り支援スタッフ4 名


■初めての仮設住宅ワークショップ
9 月に一度扇町1丁目仮設住宅のダンスプログラムにアシスタントとして参加。今回の場所でのワークショップは初めてである。岩下氏も私も開催前に何より心配したのは、参加者がいるかどうかだった。告知チラシは全戸配布したものの、果たしてそれでいいのか?参加者は集まるのかが不安だった。また、どんな年齢層なのかも。

集会所の環境を知るためにも開始1時間前には会場入りして、会場内をほんの少し片付け、開始時刻を待つ。仮設住宅の自治会長・副会長は早々にいらしたものの果たして他の参加者は?という思いで時間を過ごした。開始時刻10 分前、初老の男性がいらした。続いて女性も。開始時刻には、なんと10 名の仮設住宅居住者の皆さんが集まってくれた。

参加者が集まったことで、ひとまず大きな第一関門をクリアした思いで、いよいよワークショップはスタートした。


■ワークショップ

広さ4間×4間ほどの集会場に椅子を配置。ほとんどがご高齢の方々。1名は若い子ども連れのお母さん。まずは、岩下氏から座ったままでできる事をしましょうと提案。

自分で手のひらをこすり、腕をさすり、足をさする。そして、座ったままで腰を軽く叩いてマッサージ。自分一人で行うのだけれど、参加者からは「暖まるね。」「気持ちいいね。」と声が出る。



胸や肩を軽く自分自身で叩いて、次に手のひらを指圧。手のひらの真ん中あたりを親指で押さえていく。みんなの表情がだんだんと変わっていくのが伝わってくる。

















次に、「立ってください」と岩下氏。腕をぶらぶらにした状態で前後に腕を振る事にみんなは挑戦。
「腕の力を抜いて、ひざを少し緩めて、ブランコのように。」という岩下氏のアドバイスを聞きながらみんな熱心に行っていく。









次は、前後の動きから、腰を回して腕を回していく運動に進んだ。腕の力を抜きぶらぶらと腕を回していく。「これは腰が伸びるので腰痛に効くんですよ。」と声がかかると、幾分腕を回す早さがアップ。皆さんが腰痛を持っていたり、腰が重たい生活をしているんだという事が伝わってくる。







ここまで来ると会場の雰囲気はかなり和んできている。「きもちいいんだっちゃね。」「一人でできっちゃね。」などと思い思いに話しながら進んできた。

ここで、岩下氏が「では、次に二人組になってください。できれば同性同士で。」と話すと一気に会場内は誰と組むかで、盛り上がる。中には、「せっかく女性と組めると思ったのに・・・・」とはしゃぎながら男性同士で組む人も。



一人が座って、もう一人がその膝枕に寝る。と岩下氏がやってみせるだけで、会場内はまた盛り上がる。
気持ちいいね。いいっちゃね。

人の膝枕ということが本当に少なく、今の生活の中では嬉しいものだということが伝わってきた。

肩を押してもらったり、腕をもんでもらったりと相互に交代しながら進んでいく。「こうたいーーーー。」と言う声を聞くと「こっちだけ早いんじゃね?」なんて声も漏れるぐらい、会場は打ち解けている。最中にある女性のご主人が来たらしく、一人会場から抜けた。すると、メンバー構成上、男女のペアができ、気持ちよさそうにやっている。それを見ていたある初老の男性が「これは、夫婦和合のマッサージだっちゃ」と独り言。すぐそばにいた私は思わず吹き出してしまった。それほどみな気持ちよさそうに相手に身を任せて、やっているのだ。



次に岩下氏から新たな提案が。「一人は人形です。自分では動けません。その相手を動かしてあげてください。」と言って、デモンストレーションを参加者と披露。女性の働きかけで岩下氏の姿勢がどんどんと変わっていく。たった姿から床に寝てしまう。そんな二人の関わりを見ながら、周囲からは、感嘆の声が上がる。
「さあ、ではやってみましょう。」
「えーーーーーー」
でもみんなおそるおそるやり始める。






「そこは50 肩だから痛いよ」
「今まで使わない筋肉を使うね」
「なんだか変な感じ。でもおもしぇ。」

そんな声が聞かれながら場はどんどんと盛り上がっていく。参加者のからだのコミュニケーションは自然と確実なものになっていく。これこそ、「からだでおはなし。」


気がつけば、私から見るとみんな踊っている。ひーひー言いながらも、からだ同士のお話を楽しんでいる。

中にはうなるほどの踊りの達人も現れる。










こうして一時間という時間はあっという間に過ぎ去り、今回のワークショップは終了。

岩下氏からも「皆さんとてもよく踊っておられましたよ。」との話が。

参加者は、からだが楽になった。とても暖かくなった。等の話がでつつ、今回のプログラムは、気がつけばあっという間の一時間で終了した。





■ ワークショップを終えて

仮設住宅でのダンスワークショップは今受け入れられるのか?今回の開催を企画した私も若干の不安はあった。震災から10ヶ月。生活することがそこそこに軌道に乗りつつ、まだまだ先の不安はある。そんな中で、今、ダンスが、踊りが、果たす役割はあるのか?
そんな疑問が私にはあった。今はないが、避難所が開設されている頃、私は、今はダンスの出番ではないと感じていた。生きることに精一杯で、からだの感覚に注目するにはほど遠いと考えたからだ。でも10 ヶ月過ぎた今なら、大丈夫かもしれない。だけれど、自信もない。そんな思いで迎えた今回の仮設住宅でのワークショップ。

やり終えて、その不安は、解消された。きっとこれからからだの感覚に関する支援が大切になると。踊ることが目的ではない。からだを動かし、楽になる。からだを使って他者とコミュニケーションを図る。自分自身のからだに気づく。このことがきっとこれから、求められるだろうと。

「継続は力」だとう思う。私自身は、今回のワークショップを出発点として、ピンポイントの活動だけれど、今回訪問した扇町4丁目仮設住宅でのワークショップを継続的に行っていきたいと思う。「あのおんちゃん達が来たら、からだが楽になることするよね。おもしぇーよね。」と、分かってもらえれば、最高だ。

たった1回の支援が全くだめだとは思ってはいない。だけどどうせ、私も仙台に住んでいるのだから、今回のように現地サポーターとして動いて、同じ場所で、顔が見える・名前を覚えられるような活動を行いたい。そう思っている。




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2012 01 28共生園被災地支援プログラム報告 みやぎダンス定行俊彰

■日時.場所.スタッフ
日時:2012 年1 月28 日土曜日10:30~11:45
場所:矢本愛育会共生園知的障害者日中活動支援施設
        宮城県東松島市

指導:岩下徹

サブスタッフ:定行俊彰定行雅代佐々木大喜佐々木博美

参加者:共生園利用者30 名共生園スタッフ10 名

■継続することが大切な被災地支援ワークショップ6回目
8月からスタートした共生園でのワークショップ。今回はJCDNの協力を得てメイン指導者に岩下徹氏を迎えて行うことになった。

みやぎダンスが8 月より訪問を続けているこの施設。所在地は宮城県東松島市にあり、震災の際は建物は高台にあったこともあって津波の被害を受けることはなかったが、利用者の中には津波の被災を受け、様々な形で被害を受けている人たちが多い。

とにかく顔が見えること。細く長く継続的に行うことが重要と考え、今後3年は継続していくことを考えている。

■ワークショップ
当日は雪の心配もあり、早めに出発。会場には9:50分に到着。利用者の皆さんも送迎バスにのって、徐々に集まり始める。会場に入ると、みやぎダンスの定行のことは皆分かっていて「定ちゃんおはよう」などと言ってにこやかに迎えてくれる。今日はダンスワークショップということが分かっており、参加者はホールに集まり、ワークショップの始まりを待っている。踊ることの楽しさや、この場では強制されないこと。いつも来る人たちが安全であることが伝わっているのか、非常に好意的な雰囲気で、スタート待ってくれている。


ワークショップの冒頭定行より岩下氏を紹介。
スペシャルゲストの登場に会場では拍手がわき起こる。岩下氏は冒頭に、デモンストレーションとしてご挨拶代わりに会場内を即興ダンスで動き回る。会場からは驚嘆の声がわき起こる。
これで一気に会場内の雰囲気は和やかなものになった。

次に岩下氏の提案から、手のぶらぶらや軽いジャンプなどが繰り広げられる。車いすの人、全盲の人、うまく立てない人など様々だけれど、それぞれが自分のできる事をまねしていく。


岩下氏の太鼓のリズムを感じながら全員で会場内を歩き回る。動ける人は、どんどんと歩き、歩けない人は椅子に座り、会場の雰囲気を感じている。車いすのメンバーも笑顔を見せながら動き回っている。

様々な参加形態があってもいいんだというメッセージがこのとき、参加者に伝えられている気がした。動ける人も動けない人も車いすの人もそれぞれのあり方でよい。無理に歩く必要はない。そんなメッセージが無言の内に広がっている素敵な時間だった。

歩き回った後は二人組になってからだをマッサージ。叩いたりこすったりしながら、どんどん会場の雰囲気がほぐれ、笑顔が広がっていく。岩下氏も肩を叩いてもらいながら、本当に気持ちがよさそう。一人一人がそれぞれの関わり方で相手に関わっていく。






からだがずいぶんとほぐれた後、岩下氏の太鼓の合図で、周囲の人たちとくっつく事が始まる。太鼓の合図でくっつき方をどんどん変化していく。恥ずかしがりながらもいろいろなポーズをとりながら参加者のみんなはいろいろなポーズを決めながらくっつきからだでコミュニケーションをしていった。







全員でひとしきり動き終わった後、今度は今「くっつく」という事をやってきたことをみんなの前で発表。


岩下氏の太鼓の合図で二人が前に出て、どんどんとポーズを変えていく。

そんな中、それまで会場の隅にあったソファーで見ていた参加者の一人が岩下氏の横に座り、氏の太鼓に興味津々。岩下氏は太鼓を叩きながらもその参加者に関わり、気がつくと、二人で踊っている人と岩下氏と踊っている人という2ペアができあがる。

岩下氏の突飛な動きに参加者の男性は時には驚いて飛び退いたり、尻込みしたりを繰り返し、会場内は大爆笑の渦。
見ている人たちにも、笑いと共に会場全体への信頼感と安心感が広がっていくのが私にはひしひしと感じられた。






二人組から三人組へと変化しながら参加者がみんなの前で、くっつきながらポーズを変化させていく。

自閉症の参加者も積極的に参加し、動くことを自然に楽しんでいく。






楽しい時間はあっという間に過ぎ、11 時30 分に。最後に参加者全員で自由に踊る時間。それぞれがそれぞれの参加形態を保ちながら、動くこと、ふれあう事、表現する事を楽しんだ。



■ ワークショップを終えて

「継続は力」今回はそのことを今まで以上に強く感じた。岩下氏が訪問する以前に5回ダンスワークショップを行っている。その中で、顔を顔がつながり、一つの信頼関係ができる。一度信頼関係ができると、その延長上に様々な可能性が広がる。今回岩下氏が今までみやぎダンスで行ってきたこととは異なるエッセンスを提案しながらワークショップを進めてくれた。それをメンバーが楽しんでいた。それが本当に良かったと私は感じている。
岩下氏はその場その場で動く場のエネルギーを察知しながら、次のことを提案していく。時にはからだで動いて見せる。それが、参加者の共感を得て、次に参加者が動いていく。まさに氏が得意とする即興の感覚が場に広がっていく。


私としてはまた岩下氏にここを訪れてほしいと思う。日常的に私たちがワークショップを行っていく。そこへ違う風が吹く。そしてさらに場が豊になる。そんなことを繰り返す内に豊かな場ができるのではないかと。

彼らは被災している。ただ、言葉でそのときの衝撃や感情を表現することが難しい。だからこそ、からだで表現する事が必要となる。でも、そのスキルは持っていない。ダンスの可能性がそこにあると私は思う。

岩下氏のリードで行ったこの一時間の経験は、彼らにとって、言葉にならないレベルで肯定的な影響をもたらしていると私はその場にいて思った。また、このような場を持つことができればと思う。





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2011.9.23-25と2012.1.28-29、2回の被災地支援を終えて 岩下 徹


今回初めて被災地でのワークショップに臨んだ。
昨年9月にも2日間に亘り仙台の10-BOX(BOX1)でワークをさせて頂いたが、その場には「みやぎダンス」カンパニーのメンバーや地元でダンスや演劇活動をされている方々が主に参加され、かなり濃密な空気感が生成したと思う。
しかし、その時「生まれて初めて踊った!」と語ったYさんのお話をお聞きする限りでは、3・11よりほぼ半年過ぎてから被災者の方々の多くが、漸く自らの身体の違和感に気付き始めていらっしゃるように思われた。それまではそんなことに気付く余裕すら無く、連日極度の緊張状態にいらっしゃったのだろう。あの震災は、人の感覚をそれ程までにしてしまうことだったのかと心底思い知らされた。

ウッドデッキでの私のソロ・ダンス公演『放下24』(無音、即興、60分)でも、「みやぎダンス」とWS.に参加された方々が主なお客様になって下さった。照明も音響も無い、ウッドデッキの上に四角く切り取られた青空の下で踊る私を何とか支えて下さったのは、客席にはっきりお顔の見える方々の眼差しだったと今更ながらに思っている。

床面や空間の状態を今ひとつ掴み切れず幾度となく踊りが途絶えたにも拘らず、辛うじて60分続けられたのは何よりその方々の集中力という強い味方が有ったお蔭である。本番前は身体ひとつで踊ることが少しでも彼等への励ましのようなものになってくれればと願っていたが、いざ踊り始めてみると情けなくも私の方が励まされることになってしまった。

そして年明けの今になってやっと、身体を動かしてみたいという被災者のお気持ちをWS.の場に臨んで肌で直に感じた。思えば震災直後より待ちに待った私の本当の出番が遂にやって来た訳なのだが、果たして本当に受け入れて頂けるのか否か?正直、事前にかなりの不安が有った為、仙台在住の「みやぎダンス」定行俊彰・雅代さんご夫妻に全面的なご協力をお願いすることになった。
その結果、全幅の信頼を置けるお二人にしっかりと仲立ちをして頂いたお蔭で、幸いにも2日間共に温かく和やかな場が生まれたように思う。
今回の成果は、たとえ言語のよるコミュニケイションが困難な場合や、且つ身体の動きすらも不自由な場合に於いても、身体での非言語的交流は何らかの可能性を有するとの感触を得られたこと。

是非、今後もこのような活動を継続実施されることを望む。勿論相当な時間が掛かるかも知れないが、続けてゆくことで被災者の方々の心身面に何かしら肯定的な変化が現れるに違いない。
「みやぎダンス」のメンバーも全員多かれ少なかれ被災されていた訳だが、各々それ以降の様々な困難を乗り越えて、確かに逞しくなっていらっしゃったと思う。
「ご安心ください。ダンスはまた始めます。」-震災直後に頂いた「みやぎダンス」Kさんのお言葉。
今やっと、それが実現しつつある。
本当にありがとうございました。
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岩下徹ダンスワークショップ&ソロダンス公演「放下24」@仙台(2011.9.23-25)活動報告




■実施概要
【開催期間】2011年9月23~25日(23-24日ワークショップ、25日公演)
【会場】せんだい演劇工房10-BOX
984-0015 宮城県仙台市若林区卸町2-12-9 TEL:022-782-7510
【協力】せんだい演劇工房10-BOX、NPO法人みやぎダンス、
Art Revival Connection TOHOKU(ARC>T)
【スタッフ】制作/志賀玲子、現地サポート/定行俊彰、定行雅代(みやぎダンス)
【主催】シューツ&ルーツ (代表 岩下徹)

岩下徹は、JCDN「ダンスによる復興プロジェクト」の旅費支援をうけて、2011年9月23~25日と2012年1月28~29日の2回、宮城県仙台市と東松島市で公演、ワークショップを実施した。

2011年9月の折は、舞踊家として被災地で何かできることはないか、という思いと、まだまだダンスどころではないのではないか、という思いが交錯しながら、ちょうど、年に一度の「放下」シリーズをどこで開催するかを考えていた時期でもあったので、以前から活動を共にしてきたNPO法人みやぎダンスの定行さんにご相談しながら、「放下24」とワークショップを、仙台の演劇人の活動拠点である10-BOXで開催させていただくことにした。観客やワークショップの受講者は、できるだけの広報はしながらも、一般市民というよりは、演劇やダンスに関わる舞台関係者を想定していた。自らも被災しながら、被災地のために演劇やダンスのできることをやろうとされていたARC>Tの方々と出会ってみたいという思いもあった。


実際に10-BOXでワークショップと公演にご来場くださったのは、みやぎダンスで共に活動をしてきた障碍のある・ないメンバー、以前に岩下が仙台でワークショップをやった時に参加してくださった方々や仙台で舞踏をやっている方、宮城県で被災し岩手県花巻市に避難されている方、京都造形芸大の卒業生、10-BOXの所長やスタッフ、など10数名であった。花巻の方は舞台関係のネットで情報を知ったということで、この時、初めて踊ったとおっしゃっていた。

ARC>Tのメンバーの方々は、すでにその頃、彼ら自身による被災地での支援活動の準備のため、忙殺される時期となっていたそうである。そんな中でもお一人、仕事の合間に(事務所は10-BOX内)公演をご覧くださったのはうれしかった。
震災後6カ月というこの時期に、仙台でダンスとワークショップを実施したことが、少しでも、お一人でも励ますことができたのか、どういう意味があったのか、そこのところが正直なところわからない。ワークショップも公演も集中したよい時間と場であったが、ほとんど震災のことは話されず、参加された方々の胸中を察することはできなかった。印象的だったのは、「自分のからだがガチガチになっている、ということにようやく気づくことができた。」という言葉だ。直接被災していない方も身体感覚がおかしいとおっしゃっていた。9月の段階では、このような答えのない気持ちを抱えたままの活動終了であったが、2012年1月末に再度、宮城県内2か所を訪問する機会を得ることができた。(報告者:志賀玲子)

【活動詳細】

■岩下徹ダンスワークショップ
「少しずつ自由になるために~自己とむきあう、他者とかかわる」

【日時】2011年9月23日(金)7~9時、 24日(土)4~6時
※内容は2日通し。1日だけの参加も可能。
【会場】せんだい演劇工房10-BOX  box.1(練習室)
【受講料】無料
【受講者数】各日15名
【ちらしに掲載したメッセージ】
年齢やダンス経験、障碍の有無を問わず、どなたでも参加していただけるボディ・ワークです。まず、床にゆったりと寝転がり、からだを緩めることから始めます。そして、寝返りを打つ、座る、立つ、歩く、寝転がる、といった簡単な動きを、その速度や質感を変えながら行います。ゆっくりと自分のペースで動きながら、日常生活では忘れている自分のからだの感覚、そこから生まれる心の動きに耳をすましていきます。最初は一人の動きから始め、少しずつ2人組、グループなど周囲との関係の中で動きを発見していきます。ほんのひととき、からだで遊んでみませんか。



■岩下徹ソロダンス公演「放下24」(ARC>T#23)
*公演終了後、観客とのトークセッション実施
【日時】2011年9月25日(日)3:00pm開演(2:30pm開場)
【会場】せんだい演劇工房10-BOXウッドデッキ
【料金】入場無料
【来場者】約50名
   
【ちらしに掲載したメッセージ】
<無音、即興、60分>という同じ条件の下、年に一度の定点観測的ソロダンス。

「放下(ほうげ)」シリーズは、自らのダンスの成立根拠を問うため、年に一度、「無音、即興、60分」という同じ条件の下で踊るもので、1988年に開始。近年は拠点の京都と東京で毎年交互に開催してきましたが、今年、初めて仙台で踊らせていただきます。

「放下」とは、「すべてのものを投げ捨てて、心身を自由にすること」という仏教の言葉です。23年前、当時31歳の岩下は、もはやそうしなければどうにもならない、袋小路のような状態に陥っていて、そんな中で、「放下」― テーマ、イメージ、振付、構成、音楽、衣装、装置といった、 ダンスをとりまく様々な要素と決別し、身体ひとつで観客の前に立つこと― を踊りました。以来、年に1度、続けています。今年は、<劇場>という装置も問うてみたいと、10-BOXの屋外ウッドデッキで踊る予定です。
「人が人の前に立ち、何かをするとは、どのような行為なのか」―パフォーミングアーツにとって最も根源的な問いを、仙台の皆さまと共に考える場となることを願っています。


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2012年2月28日火曜日

ケる子のういろう記(2012年2月9日~11日宮城県東松島)




2012年2月9日~11日の三日間。宮城県東松島の小野駅前仮設住宅に滞在させていただくことになった。東松島は松島と石巻のちょうど中間部にあたる。現在(2012年2月)も津波被害の為、JR線の復旧の目処はたっておらず、代行バスが走っている地域である。今回いっしょに東松島に向かった吉澤氏は鍼灸師。彼は鍼灸の治療で、今回5度目の被災地訪問となる。「自分が井戸を掘るだけじゃなくて、井戸の掘り方を伝えるようなことが出来ないかな」。数ヶ月前、酒盛りの席でポロッっとこぼれたことば。気になったのでどうゆうことか聞いてみると、どうも青年協力隊のボランティアの人のことばらしい。自分が現地を去ったあとでも、方法を伝えられれば、そこに住んでいる人達自身が井戸を掘り続けることが出来る。自分が治療するだけでなく、その場所に住むその人自身が、自分で元気になれることを伝えられないだろうか、そんな話をした。わたし自身も、震災があった後「自分で出来ること」から始められるケアのワークショップをしたいと考えていたから、何かきっと、方法はあるんじゃないかと、とりあえず今回いっしょに行ってみて考えてみたいと思ったのだ。


一日目。
わたしははじめての被災地への訪問。東北は絶対寒いと聞いていたのでぶくぶくに着膨れして行った。松島駅まで仮設住宅の自治役のTさんが車で迎えにきてくれ、小野に向かう。広い、平らな土地が広がる。空も広く、風は強い。雪は積もっていなかった。広い土地だなぁと思いながらも、もしやとはっとする。「このへんも家がいっぱいあったんだよ」。所々、家の土台がある。それがなければ、ただの平地だとしか思えない。それくらい何もない。「きれいになりましたね」と吉澤氏。「なぁ~」とTさん。ここに「あった」とゆうことに対する感覚、そこからわたしはよそ者なのだとはっきりと気づく。よそ者であり、見えないものが見えない、とても鈍感な人間なのだと、まずは肝に銘じようと思った。
今回私たちが主にいたのは仮設住宅の集会所。15畳くらいのスペースに、図書棚と調理場と机があってここが主な吉澤氏の治療スペースとなる。到着するとおばあさん達が4人くらいがちゃぶ台に集まっていて、「こっちおいで」と招いてお菓子やお茶を並べてくれた。「これ食べぇ」とお茶請けに持ち寄りの漬け物がどんどん出てくる。話には聞いていたけれど、こちらの人達は飢え死にさせてはいかんというくらい、食べ物を勧めてくれる。漬け物はみなとても美味しく、「これ、手作りですか?」ときくと。「そだよ。でも大きな漬け物壷はみんな流されたぁ。」と言っていた。

少し一服して、吉澤氏の治療スペースを作って治療所を開設。今回のあたしの作戦(?)は受付ノートを書いてもらって待ってもらっている間に色々身体のことの聞いたり、お話をしてまずはリサーチすること。あとはマッサージをしながら、自分で出来る、気持ちいい身体の動かし方についてお話していくこと。「何か残せるものを」とも事前に相談していたので、ちょっとしたプリント(かんたんな操体法という身体の動かし方)を作って手渡したりもした。


大体一日に10~20人くらいのお客さんがくる。集会所なので、ぶらりとただ立ち寄る人もいる。そんな中で色んな人の話を聞く。津波の水は真っ黒だったことや、地震の直前は普通にタイヤキを食べていたこととか、体育館で泳いだ話など。人々が話すことは、わたしが普通に考えていることなんてすっかり超えてしまってる。一見穏やかに思えるこの日常の中で、誰もが実際には想像出来なかったようなことを体験してしまい、それらを抱えて暮らしている。足が痛むというおばあさんの足をさわってみると、すっと伸びたきれいな足先だった。「とてもしっかりした素敵な足ですね!」と言うと照れながら「農家やったから」と答える。ここの年配の人達は、どこかに不調を抱えながらも背がすっと通っていて、力強さを感じる人が多い。漁師、農家と言った自然産業に携わる人が多く、暮らしを支えていたのだ。身体の形から、その人が踏みしめていた大地を思う。


二日目。

午前中、吉澤氏治療の傍ら、今日も、色々話したり動いたり。そしてお灸談話を導入。お灸談話とは吉澤氏が知り合いの方から「おれも何かしたいので、これを持って行ってくれ」と預かった市販の自分で出来る簡単なお灸を使って、治療待ちの人とお灸をしながらお茶を飲んでしゃべること。初お灸の私も、ポイントを教えてもらって、来てくれた人に伝える。しゃべりながら、皆さん手やら足からプワプワ煙が出ていて、お灸のもぐさの香りが漂う。不思議な光景だがリラックス出来る。昼からはまた別の体操教室の人が集会所にやってくるらしく(やはり定期的に運動出来る習慣を作る為なのだそう。だから今後もダンスは、ニーズはあるはず。)治療所を一旦閉めて、地元のKさん一家が車で被災地沿岸を案内してくれることになった。
覚悟はしていたけれど、言葉を失う光景は一年経とうとする今もあるのだ。建物が斜めに傾むいて浸水している様子や、がれきの山。そんな中で一度は砕けて、流されたであろう墓地の石がひとつづつ丁寧に、人の手によって立て直されたあとを目にする。ボランティアの人達の手があって助かったとKさん達は話していた。
はじめ、カメラを向けようとした時、手が止まった。けれど、と思い「あったことを、話したいから」と口にしようとするが、うまく言葉が出てこない。運転手のおじさんが「写真とりたい所があったら言って、ゆっくり走るから」と。それからおばさんは丁寧に、今走った場所が以前はどうゆう場所だったのか話してくれた。道沿いにポツポツと大きなカメラを持った人が歩いている。「もうすぐ一年だから取材の人が増えて、そっからまたきっと減るんだぁ」。

74名の児童が亡くなった、大川小学校の前を通る。一旦停止してくれたものの少し様子がおかしい。体育館に入る、記者のような人が見えた。「降りますか」と聞かれたけれど「いえ、いいです。」とそこをあとにした。「ここはやっぱりしんどい」と娘さんは言い、「あの人、なしてなぁ、はいらねぇでなぁ、はいらねぇで」とおばさんは呟いていた。それは、私がここにきてはじめて聴いた、小さな叫びのように響いた。ここにいるあたしも、あの記者の人も、何も変わらないじゃないかと思う。カメラを向け、見たり聞いたりする。それでも、話してくれようとする「ここ」の人達に対してあたし達は何が出来るのだろう。その後も車で走り沿岸部をまわり、帰りは道中にある焼き芋屋さんで「病院の帰りはいつも買って帰るんだ」とおばさんは焼き芋を買ってくれた。金色のほくほくした焼き芋はほんとに優しい味がした。


三日目。
「おっはよーございまーす!」私たちを気にかけて、今日もTさんは朝ご飯を持って来てくれる。昨日は和食、今日はイングリッシュブレイクファースト(パンに卵にコーヒー)!Kさんは料理上手なのだ。元気になってもらいたいと思って来ていたのに、現状はこちらのほうが「何やっとんねん、しっかりせな」と思わされる。当たり前のことが当たり前でなくなった土地で、当たり前のことを当たり前に出来る尊い人達が復興を生きている。
今日は集会所で炊き出しがあるので、治療院は仮設住宅の一つだけあいている一室に一時だけお引っ越し。わたしは今日は炊き出し組。一昨日の夜ごはん時に、「甘酒が呑みたい」という話が出て「炊飯器で作れるらしいですよ」と迂闊に答えた為、急遽甘酒を作る係になったのである(作ったことないのに)。
炊き出しにはRQ支援センターの女性が中心になって来ているグループと、みまもり隊という元は農業の支援をしていた学生ボランティアの人達がきていた。流石に慣れているのだろう、のべ40~50人くらいの炊き出しがささっと準備され、お昼時の集会所が賑わう。甘酒も昨晩からレシピを検索して作ったかいあって、おばあさん方が喜んでくれたのでうれしいかった。

その後、炊き出しボランティアの女の子達が「肩が凝るのだ」と話していたので「肩こりに効くダンス」の話をして、ちょっとやってみることになった。気持ちの良いと思う方向にどんどん身体を動かして身体の歪みをとる方法(詳しくはプリントPDF)。これを繋げるとダンスになるんだよ、という話をしてちょっとだけ踊ってみる。女の子たちがわいわい手を振る。「普段どうゆうダンスをしてるんですか?」ときかれたので「多分、、コンテンポラリーです」と答えると皆「しらねぇ」と言っていた。

帰る時間が近づいてきたので、帰り支度。昼すぎからはここでデジカメ教室をやることになっていると話している。ここの活集会場の活発さに驚く。この小野駅前仮設では「小野駅前郷プロジェクト(http://onoekimae.exblog.jp/)」という復興プロジェクトを仮設の住人達自ら立ち上げようとする動きが出てきている。資金や行政との兼合いなど、問題はたくさんある。何せ立ち上げようとしているのは、被災地の住民自らなのだ。けれど「自分たちから動かないと変わらない」とKさんはプロジェクトについて話していた。このような被災地の人自らの動きを援助出来る仕組みを考えていくことも、これからの復興支援の一つの課題だと思われる。
帰るときも荷物を減らす為にぶくぶくに着膨れる。寂しいなぁと佇んでいると「それは北海道か、スノボですよね。」と女の子につっこまれる。やはり着込み過ぎだった。「ばいばーい」と見送られ、車に乗り込む。
帰る道すがら窓の外に目を見やる。目の前に広がる何もない景色に、胸がかさかさ音を立てる。それなのにまるで親戚の家を離れるみたいで、幼い頃、毎年父の田舎に行った帰りには、寂しくて泣いていたことを思い出した。



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