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2011年7月20日水曜日

C.I.co. 復興支援第1弾 会津若松へ

熊町小学校の6年生
大野小学校の校長先生と

 「ダンスアーティストによる復興支援マッチングサイト」に登録して初めての仕事は、以前から縁の有る会津若松市での活動。JCDN佐東さんと、アーティスト側は、C.I.co.の鹿島聖子と勝部ちこ、音楽家/ピアニストのRicoの3人体制で臨んだ。

概要)
日時:2011年7月3日(日)〜4日(月)
メニュー:
 ◉大野小学校6年生、熊町小学校6年生対象に45分のWS 
 ◉会津若松の大人対象WS 2時間×2回、
 ◉会津若松にて教育委員長、文化振興財団職員、地元事業家、らとの懇談会

レポートは以下の項目で読み進んで下さい。
1)    何故、会津?
2)    何をしたか?
3)    ピアニストRicoの所見
4)    原発に思う事


1)何故、会津?
ご存知のように、福島の中でも、会津若松は震災の被害をさほど受けていない内陸の街。しかし問題は、そこが「福島」に含まれているという事と、原発の町、大熊町からの集団避難を受け入れている所に有る。
東京からの新幹線が郡山に近づくと、屋根にブルーシートをかけた家々がちらほらと見え、磐越西線に乗り換えても、まだその光景が暫く続く。しかし、会津若松に入ると、以前と変わらず落ち着いた町並みがあり、文化の香りがしっかりと漂う。ただ一つ違うのは、観光客が激減している、ということ。明るい景色に不似合いな程、ひっそりしている。

私たちは、震災の直前、2月末にここを訪れている。会津若松風雅堂の山宮さんの活躍で、4年越しの願いが叶い、コンタクト・インプロビゼーションのワークショップを再開する事が出来た。そして勢いに乗って行こうね!と誓い合ったのもつかの間、3月11日に、大きな横槍が入った。横槍どころではない。
全てを狂わせる物理的な災害に、許し難い人災がかぶさり、福島の地は何重もの困難に見舞われている。
事前に電話で話した山宮さんの声は、やはり元気がない。2月に知り合った会津若松市教育委員長の前田さんが、東京での私たちのワークショップ(WS)に来て下さった時に、「避難して来ている子どもたちは、本当に苦しいんですよ。でも大人の私たちも、大変です」というお話をされ、それでもコンタクト・インプロビゼーションのWSに参加した事で、心が軽くなった、とおっしゃった。
そうだ、コンタクト・インプロビゼーションは、被災地で被災者に受け入れられるかも知れない。役に立つかも知れない!

私たちは、今、会津に、呼ばれている!

佐東さんの素早いコーディネートが後押しし、かくして、私たちの第1回の復興支援は会津若松に赴く事になった。

2)何をしたか?
到着初日の夕方は、会津若松市の大人向けのWS。こぢんまりと、しかしサミットWSとも言える要人たちに向けてのWSとなり、今後、私たちの活動が復興支援の可能性を持つかどうかが試される機会ともなった。丁寧にウォームアップをした後は、音楽家Ricoの参入で、普段のコンタクト・インプロビゼーションのWSとは少々趣を変え、身体で音を奏でること、楽器を鳴らす事、動きを音で表す事、などの内容に突入する。実際に初めてコンタクト・インプロビゼーション(的な)WSを体験する人達も含め、徐々に身体と意識の繋がりが滑らかになってきて、夢中になっていく感じ。大変な日常で疲弊している心と頭を、一旦、身体に支配されてみるのは、結構効果の有る事だと思う。

ボディパーカッションに挑戦
2日目の朝は、廃校になった校舎を急遽使用可能にして、大熊町から集団で避難して来ている大野小学校と、熊町小学校の児童6年生を対象にWSを行なった。どちらも45分の1コマ。体育の授業として受け入れてもらった。体育館には、幸い、古いピアノが残っていて、ピアニストは本領発揮モード。
ワークの内容は、3)Ricoの所見 をご参照。
おしくらまんじゅう

児童たちは、一見、元気そのもの。その表面的な明るさやエネルギーに油断してはいけない。中には、最後まで笑顔にならなかった子どももいる。そしてその元気の質にも留意すべきだ。通りすがりの自分たちにすら垣間見えるのは、担任の先生と児童の関係。それが震災前後でどう変化したのかは解らない。が、そのあたりがこの非常事態には特に重要ではないかと思える。しかし、先生だって被災者だ。どんなキズを心に、身体に刻んだか計り知れない。イチゲンのダンスアーティストが踏み込んで行ける範囲を微妙に慎重に考えながらの仕事である。

転がり合う担任の先生と生徒(微笑ましい・・・)
素敵な事件もあった。
後半の大野小学校での事。始まってすぐに、少し色白ぽっちゃり型の男子が足をくじいたのか、端っこに座り込んでしまった。このまま見学をすることになるのか、と思いきや、クラス中盤でピアノと連動するワークになると、見事に復活し、えも言われぬ喜びを身体で表現しながら、人一倍、動いている。踊っている。本当に純粋な幸福感を発している。なんと言う事だろう。一応ダンスを仕事にして生きている私等より、数百倍も踊る事が自然な男子である。
子どもたち向けにWSをしていて、たまに出会うタイプの「生まれつき踊る人」、である。そんな時、私たちは彼らの将来に、どのように協力出来るのか。既存のダンス教育に、果たして彼らを受けとめ、今有る才能を伸ばし、社会がその価値に気づく、という事ができるだろうか。少なくとも、この日のこの時間は、私たちのリードによって、彼はその才能の一端を発する事となった。また会いたい。会って、一緒に踊りたい。踊る心を彼から教わりたい。
キラリと美しい事象に出会ったのは嬉しい事。一方で、彼らの将来に貢献する力を、自分たちが持っているかどうかを問い直すガツン!な瞬間であった。

被災地をずっと取材している地元新聞記者の方から、今回の授業のコメントを貰った。避難所での生活では、見られなかった笑顔の子どもたち。きっと開放感を存分に満喫したのではないか、と。この言葉は、非常に勇気づけてくれるものである。わずか45分の中でも起こる様々な変化に目を向けて、45分後に答えを出すのではなくとも、何かを彼ら(児童にも先生にも)に伝えることができたのではないかと思う。

この会津で出会う人たちは、本当に面白い人たちが多い。風雅堂の山宮さんや教育委員会委員長の前田さんが繋いでいく人たちは、エネルギーがあって前向きで、行動力がある。なんとも美味しい郷土料理/お酒のお店での会合は、とんとん拍子に話が進み、今回のワークショップをきっかけに、今後も活動を継続するつもりで、「ふれあいづダンスクラブ」を設立した。次回は、大熊町からの避難者の多い地域で、地元の人と避難者との交流WSをやってみましょう!の企画も立ち上がりそうだ。

復興支援Tシャツコレクション(右から会津若松文化振興財団職員 山宮氏、アーティストの鹿島、Rico、勝部)


3)ピアニストRicoの所見
●会津若松へ向かうにあたっての思い
3月11日以降、日本が異次元に移行したかのようになり、日本人が戦後積み上げてきた価値観を大きく方向転換しなくてはならなくなったと、多くの人が感じたと思います。その中の1人である私も、この先の日本がより良い方向へ向かうには、個人として何が出来るのか、何も出来ないのか、と大いに悩んでいました。
音楽家である私は、人の心に届く音楽を作り、歌い、演奏する、それが仕事だろうとも思いました。
しかしそれだけでいいものなのか。そんなモヤがかった思いの中、友人である勝部ちこさん鹿島聖子さんから今回の会津若松行きの話をいただきました。
大熊町から会津若松へ避難してきている小学生へのワークショップ。
避難してきている方たちを受け入れ、しかし同じ福島県民でもある会津若松市民の方たち。その方たちと実際に会い、今何を感じ、どんな思いなのか、言葉で聞けずとも、肌で感じてこようという思いで会津若松へ向かいました。

●実際のワークショップを通して
これまでコンタクト・インプロビゼーションには、演奏家としてのみの参加しかしてこなかったのですが、今回初めて自身の身体を動かし、参加者の方たちと直接に触れ合いました。
会津若松のスタッフの方たちも参加していた初日の大人向けのワークショップで、初めて会う方たちとこんな短時間で、こんなにも思いを共有出来てしまうものなのかと、まずは軽いショックを受けました。
翌日の小学生向けのワークショップについて、テーブルを挟み相談をしていたら、きっと実際の半分も思いを共有する事は出来なかったのでは、と思います。

そして大熊町の熊町小学校と大野小学校の小学6年生たちとのワークショップ。
何が始まるのだろうと不安そうな顔の子供たちの列が体育館へ。
入ってきた先でダンサー2人は踊り、私はピアノ演奏。
先生の方を見て指示を受けるべきか、それともダンスを見ていていいものか・・・
虚をつかれたような子供たちの様子がおもしろい。
数分のパフォーマンスを見せた後、挨拶。
それでも子供たちの戸惑った顔は変わらず。
全員に裸足になってもらい、準備運動を始める。
丸太転がり。進む!
徐々に大きな動きになり、体育館中を大またで歩きまわり、横を通り過ぎる人と握手、目の合った人と同時に左右へ倒れ込む、もうその頃には子供たちのはしゃぐ声が体育館中に充満していた。
小学6年生ということもあり、男女の照れはあったものの、初めて会う大人も含め、子供たち同士、一気に垣根が取り払われたように見えた。2人組みでお互いの身体の上を転がる、身体で音を表現してみる、グループ分けし楽器を使って大きな音を出す競走、ボディパーカッションで大合奏。
45分間という短い時間でのワークショップだったので、メソッドの組み立てにもう一工夫あってもよかったか、とも思いながら、弾けるような笑顔があったことは事実だった。
身体の大きな子、小さな子、おとなしそうな子、活発な子、どの子にも差の無い笑顔を見ることが出来た。
2つの小学校の6年生2クラス別々のワークショップ。
先生が参加したクラスとそうでなかったクラス。
ここに大きな違いを感じました。
ご自身が参加した先生は、ワークショップ終了後、目を輝かせて感動を伝えてくださった。

●    私見としてのコンタクト・インプロビゼーションというものの意義
人と触れる、照れる、笑う、通じ合う、心が開放される。
これこそ現代社会に今必要なものではないかと強く感じました。
職場の中でうつ病になり退社に追い込まれる、こういうことが起こっているのを身近で数人見聞きしてきました。
良いコミュニケーションを人と持ちたいと誰もが願っているのに、上手く出来ないということが本当に多いと思います。
ひとつの集団の中で言葉を使ってコミュニケーションを円滑にしようと試みる前に、コンタクト・インプロビゼーションのワークショップを1度やってしまえば、大きく変化するのでは、と感じました。
私がコンタクト・インプロビゼーションのワークショップに演奏だけでの参加のみだったら、こういう思いにはいたらなかっただろうと思います。

会津若松教育委員長の前田さんも参加。
目線の先には転がり重なり合う男子たち。
演奏者として参加していた時は、お互いの身体に触れ合い身体を動かす人たちを見ていて、その触れている部分から何が生まれているのか、全く分からなかったのです。
自身が参加した後に感じた思いとの差が、熊町と大野町の参加した先生、参加しなかった先生の大きな違いと同じなのではと気づきました。
とにかくコンタクト・インプロビゼーションは、参加しなければ人と通じ合えたという思いや、そこから繋がる心の開放感を感じることは出来ないのだと分かりました。
どうやって参加してもらうか。これが大きな鍵であるとも感じました。

コンタクト・インプロビゼーションにはもっと大きな意義があるのだと思いますが、私が感じたこの単純な思いだけでも、たくさんの人の心を救えるのではないか、と大きな希望が見えたように思いました。
たくさんの人たちが苦しい思いをしている東北でも、きっとコンタクト・インプロビゼーションは救いになるのではと、強く感じます。
ピアノに反応していたら繋がった! 


4)原発に思う
福島原発から100km離れた会津若松は、全く普通通りの生活が送られているようだ。マスクをしている人は見かけなかったが、風評被害をまともにくらい、観光客が非常に少ない現状だ。
郡山から会津へ向かう電車の車窓からは、たくさんの田んぼに稲が青青と育っていた。これらのお米は、どうなるのだろうか、私たちも頂いた美味しい郷土料理は本当に安全なのだろうかと不安がよぎった。
しかし、今や日本も世界中のどこにも汚染されていない所はないのではないかと思える。それでも、福島第1原発の事故は、最悪を極めている。対処に当たっている方々には本当に感謝しているけれど、東電幹部や政府、経産省、保安院、安全委員会など責任がある所の対応は崩壊している。悪魔に魂を売ってしまったような、このような人たちにこそ、本当はコンタクト・インプロビゼーションをやってもらいたい。ほとんどの親が原発で働いている大熊町の子ども達や福島の沢山の人たちと、背中を合わせてどんな思いでいるか、じっと感じてもらいたい。私利私欲にまみれて硬直しきった身体と歪んだ顔がほぐれたら、日本の未来も少しは変われるのではないだろうか。
人が変わらなければ、社会は変わっていかないのだから。
と書いている本日、2011年7月13日に管首相が、脱原発社会を目指す宣言をした。
1960年代から、国民の意向など全く無視され、強行的に続けられてきた、原子力政策を方向転換させる歴史的な事ではないだろうか。管首相が本当は何を考えているのか良く分からないが、とにかく宣言した事は頑張って頂きたい。その前に、福島の原発を確実に収束させて欲しい。

(文責:勝部ちこ、鹿島聖子、Rico)
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2011年7月12日火曜日

宮城県東松島市レポート その3 早川朋子

6月15~16日、仙台と東松島へ。
コーディネーターの吉野さつきさんダンサーの山田珠実さんととともに、今回は、ワークショップをするのではなく、子育てセンターでの、お母さんと赤ちゃんのプログラムを見学し、その上で何ができるかを現地の方と話し合えればという意図で行った。


■東松島市 矢本子育て支援センター
「妊婦・赤ちゃん広場 専門家とおしゃべりタイム」を見学


仙台を出発し車で東松島市役所のエリアへ。市役所は災害対策本部、仮設住宅申込みなどで多数の人が出入りしていて、他県の名前がはいったベストを着た応援の職員もたくさん見かける。
子育て支援センターは市役所から車で少し行ったところにあり、その周りも、外にはテントが張られ「土のうの貸出こちら」など出ている。
また、おそらくボランティアの人たちが寝泊りしているであろう、小さな宿泊用テントも多数。

ここに来るほんの少し前に、津波の跡がはっきり残った場所を車で通って来た。がれきが散らばっている場所と、被害を受けず家々がならぶ住宅街と、道を一本隔てただけなのに全く光景が違う。それに愕然とする。

そんな敷地の状態のなか、子育てセンターは、一歩入ると広々と畳とカーペットが敷き詰められ、窓から広々と緑が見え、絵本やおもちゃが置いてありゆったりした空気 。
どちらが日常でなにが非日常なのか、一瞬わからなくなる。
さきほど見た、津波で流されたエリアはすぐ近くだからだ。


時間が来て徐々にお母さんと赤ちゃんが集まりだし、支援センターのスタッフの進行で手遊びや自己紹介などが始まる。
お母さんどうしはあまり顔見知りではない様子。そのつど自由に参加だからかな。
でも自然に、小さい赤ちゃんズと遊びまわれる3歳前後の親子でわかれて遊んでいる。

これだけたくさん赤ちゃんや子どもがいるというだけで楽しそう。

小児科の先生や助産師さん栄養士さんなどが来ていて、自由にそばに集まり質問をする時間。私は小児科の先生を囲んだ輪にいて、みんながどんなことを質問するかなあと聞いていた。多かった話題は予防接種のこと。ヒブワクチンと肺炎球菌の同時接種しても大丈夫か、とかポリオは生ワクチンか不活化ワクチンか、など2歳の母である私自身も気になっていたことと同じだった。

震災に関連した子どもについての相談などはそこでは聞かれなかった。
日常が戻ってきているということなのかな。
お母さんどうしも初対面の人が多かったら、お互いの状況を話さないのも当然かもしれない。私も、娘が生まれてこういう子育てセンターの催しに行ってたけど、毎回、初対面のママどうしで「いま何ヶ月ですか~?」「離乳食食べてる~?」などの おしゃべりに疲れて(!)すぐ行かなくなっちゃったから。

まだ幼稚園保育園に行かない小さい赤ちゃんのいる人は、どんな風に過ごしているのだろうと思い、そばにいたお母さんに話しかけてみる。よちよち歩きの子を連れたそのお母さんは、そもそもこの矢本のエリアに住んでいるのではないそうで、今日はわざわざ来たらしい。
「普段は、、あんまり行ける所はないんです。歩いていけるところにはなかなか。まだ公園とかで遊ぶには小さいし…」車がないと、なかなか自由に動くことも難しそうだ。
震災後、どうしていたかということも聞いてみたかったが、なんとなくそこには触れてはいけない気もしたし、東京からぽんと来て興味本位に聞いているようで躊躇してしまっ た。


■車から見た光景

その後、仙台へ戻る途中、津波の被害を大きく受けた地域を車で通る。
車で同行してくれた仙台在住のみ弥さん優太くんは、東京から人が来るたび「案内」してもう見たくない光景かもしれない。

けれどそれは想像を超える、思考がストップする光景だった。
3階くらいまで、窓ガラスも何もすべて吹き飛んだかのような建物。押しつぶされた車が大量に集められた廃車の集積場。
「あの建物の上にいた人は助かったらしいよ」と4階建くらいのショッピングセンターを教えてくれる。じゃ、そこに辿り着けなかった人は…。
震災から2ヶ月が経っているので、がれきの撤去も進み更地のようになった場所も多いが、それぞれの家の土台だけが残ってそこにかつて住宅街があり生活があったこと を思うと絶句する。そこに生活の気配はまったくない。

仙台在住ダンサー優太くんの車の、かけてくれる音楽が次々良くてそれに救われました。
気持ちいい音楽をたくさん知っていることも、ダンサーとして役に立てることかな。


■長く長く

復興と一言で言っても、直後の、食べ物着るものがない状態を過ぎた今、ここにいる人たちは、絶望の大きさや深さを心の中にしまって日常を送っているのかもしれない。今日会った赤ちゃんを連れたお母さんたちも、震災後、必死で自分の子どもを守り、心配し、笑顔を見せてがんばってきたことは確かなわけで。また、今回案内をしてくれた仙台アルクトのメンバーのひとたちもそうだ。

そんな生活の中、カラダをほぐすことで心もほぐれて少しラクになる時間は確かに必要かもしれない。ダンスをしている人はみなそう思っているし、自分自身がそれを実感しているからこそそれを伝えたいと思っている。
でも今回、この被害の状況を目の前にして、私たちが信じてきたダンスというものが、伝わらないかもという覚悟も持たなければならないと思った。
それくらい想像を絶する状況だからだ。ただ、それで止まってしまっては何もならないので、少しずつ、いつも、長く長く思っていきたい。と思っている。


それと今回は、これまで一緒にワークショップをしたりしてきた吉野さん、山田さんと一緒で、行程のあいだたくさん話ができたことが貴重だった。
子育てセンターへ行く前の晩、もし少しでも何かしてもいい言われたらという想定で、あれこれ体をほぐす内容を話しあったり(たまちゃんは相変わらず骨格フェチ)見てきたことをたくさん話をした。山田さん、吉野さんありがとうでした。また実際に、仙台で活動しているアルクトのみなさんに会えたことも貴重だった。

過酷な状況下でワークショップ的なことしたいと思うとき、一緒に行くダンサーやコーディネーターのひとと信頼しあっていて、同じ思いを持っていることは普段以上に大事だと思った。

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2011年7月11日月曜日

宮城県東松島市レポート その2 山田珠実

16日朝、8時20分に仙台・ARCT事務局の伊藤みやさん、ダンサーの千田優太がホテルまで迎えに来て下さり、千田さんの運転で東松島市にある子育て支援センター「ほっとふる」に向かいました。

目的は、主に今後のワークショップのためのリサーチのようなことでした。
「日本プライマリケア連合学会(PACT)」(http://www.primary-care.or.jp/-care.or.jp/)という医療関係の団体がダンサーの派遣によるワークショップに関心を持ってくれたので、まずPACTの派遣する先生たちとお母さんたちの相談会に同席し、子育て支援センターのスタッフや、来訪するお母さんや幼児たちの様子などを実際に見聞きして、今後の可能性について話し合えればということでした。

「ほっとふる」で感じたこと

10時前にPACTの先生たちより前に「ほっとふる」に到着。
たぶん、私たちは「ほっとふる」の施設スタッフにとって、直接「行きましょうか」「来て下さい」という話をした相手ではないので、何となくどう関係してよいのかがよく分からない対象であるのかもしれない、と感じました。それももっともだと思いました。

前日の夜、吉野さんと早川さんと、もし、「ちょっとワークショップのようなことをやって下さい」という提案を受けた場合、どんなことをしようかと2時間程度打ち合わせをしていましたが、そのような提案はどうも生じなさそうな雰囲気でした。

実際、お母さんたちが来て、「ほっとふる」の運営する会が始まってみると、「ほっとふる」のスタッフというのは、つまり、お母さんたちに子どもとのコミュニケーションスキルを伝えるワークショップファシリテータでもあることがよく分かりました。彼らが保育士の資格を持つ育児の専門家として指導や施設の運営にあたっていて、お母さんたちの抱える問題解決に自分たちが助力したいという職業意識と誇りを持って活動されているのを感じました。

彼らの立場に立ってみると、ダンサーや振付家がやって来て、自分たちとは別の角度のワークショップをお母さんたちに提供するということについて、意義を感じるというのは、なかなか簡単ではないかもしれない、と内心思います。アーティストの持つ専門性のようなものは、小児科医の先生とか栄養士の先生の持つ専門性に比べるとやはり分かりにくいのだろうなと。

さて、一時間半のプログラムは、以下の様に進みました。
スタッフのファシリテーションによる、歌と手遊びの紹介→2人一組でゲーム感覚の自己紹介→プライマリケア学会の先生たちの紹介→自由な質問の時間(歩ける子供たちも思い思いに遊ぶ)→それぞれの先生からのサマリー

全体を通して、あくまで『子供を育てること、子供の成長と健康について』のプログラムでした。勿論、子育てに関する、それぞれ個人の悩み相談のようなことは起こっていたのですが、『母親』という立場に強調を置かない形で彼女たち自身の心や身体について感じたり考えたりする時間は殆どなかったように思いました。
多分被災地に限らず、子育て支援センターは、当然、育児についてのプロにより運営されることになるので、それ以外の視点は持ち込まれにくい場であるかもしれません。

そんなことを感じつつも、お母さん達から先生たちへの質問タイムの間、自由に遊んでいる子ども達とニコニコ楽しく関わったりしているうちに、スタッフの皆さんも私達がいることに慣れてくださったようにも思います。プログラムが終わり、お母さんと赤ちゃんたちが帰宅された後のお茶の時間では、やっと気心が知れはじめた印象もあり、小児科の先生やボランティアできていたスタッフの肩甲骨周りをマッサージさせてもらったりして交流しました。

率直な印象として、「ほっとふる」のような社会福祉の場が、もし、アーティストやダンサーのワークショップを望むとしても、例えば、私自身のように『京都からワザワザ』という形ではなく、地元感覚で関係できる仙台のアーティストとの関係を望むことが当然だろうなと感じました。継続して、長期的に、一緒に支援できる相手との関係が重要なので。その意味でARCTの伊藤みやさん千田優太さんと一緒に訪問できたことはとてもよかったと思いました。


出会ったお母さんたち、子どもたちについて感じたこと

プライマリケアー連合学会の小児科の先生は「お母さんたちの様子は、他の地域と特別異なるようには見えない」と感想を言ってみえましたが、私にも、経験が少ないなりに、その様に見えました。勿論、お母さん達が曇りなく「明るく!元気!」に見えるわけではないけれど、かつてWSで出会った乳幼児の母さん達を思い出してみても、皆さん多かれ少なかれ悩みや、戸惑いを抱えていたように思います。この土地だから特別大変な状態にあるという印象ではありませんでした。

ただ、それは『だから、大丈夫』ということでは全くない。やはり、ある一日の1時間半の間に端から見えることはあまりに限られているので、それぞれのお母さんがどのような不安をどのような強さで抱えているのかは殆ど分からないのだな。と思いました。
そして、ひょっとしたら、繰り返し交流している「ほっとふる」のスタッフにとっても「分からない」ことは多く残って当然なのだろうと思いました。
相手の心の中の出来事は『分からない』という前提にまず立って、その上で、何か提供できることがあるのか模索すること、やわらかく繊細に相手を観察する視点を磨くこと、短絡に「分かった」ことにしないまま、分け合いたいと願うこと、それらが必要なのだなと改めて感じました。


仙台、ARCTの皆さんにお会いして感じたこと

仙台市街は既に、地震について知らなければ気がつかないほどに修復がなされていました。メディアテイク内の素晴らしい図書館には多くの人々が、とても静かに読書をしていて、その様子が寡黙で粘り強い東北人の印象と重なりました。同行下さった、伊藤みやさんも千田優太さんも寡黙に考えコツコツ実行する方々のように印象しました。千田みかささんが聞かせてくださった海外青年協力隊での体験や避難所ボランティアについてのお話もとても貴重でした。

やはり地元での活動基盤が既にある土地については、それをどのようにサポートし、資金や人材(実際に活動できるアーティストの人数)の不足を補うかをまず考えていくべきなんだなと肌で感じました。個人的な感情としてARCTの皆さんに、また会いたい、彼らが向き合ったいる問題を私も一緒に考えてみたいと思いつつ、例えば私のような振付家が短い期間滞在する場合、その土地で既に活動しているアーティストと実質どう有機的に結び付きうるのかな?とイメージができるような、できないような感じです。

鈴木拓さんが「地域のアーティストに対し、ワークショップファシリテーションをスキルアップできるような研修が必要だ」と言われていたのが印象に残ったのですが、その研修は被災地以外の土地で、被災地で活動しているアーティストを招く形で行っても良いのではないかと思いました。移動することで被災地のアーティストのエネルギーもリフレッシュするでしょうし、地域を隔てたアーティスト同士の経験の共有も活性化するのではないでしょうか?勿論、資金の問題はありますが。

長文失礼いたしました。

山田珠実
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2011年6月30日木曜日

野田村に関して。--佐藤美紀

被災地の復興は東京に近く、新幹線も止まる仙台から入るから、北の外れである野田村は復興に時間がかかると思い、ボランティアに来始めた人たちも多いらしい。
でも、実際には、進んでいる!
これには、やはり訳がある。

被災状況の大変さに比べると、亡くなっている方が少なく、行方不明者も早い段階でゼロになっている。
津波が来る前、村の人達が、声を掛けあって避難をしていたらしい。
湾の向きも多少助けになっている。
漁師達は海のことを知っている。

それに、海の人は前向きなんですって。
盛岡の山の人が言っていた。

地元のキーパーソンが明確なのも良いと思う。
行政だけだは間に合わないのだから、近隣の久慈を含めたNPO団体や地元の名士たちが、上手く作用しているように見受けられた。

しかし、プレハブの仮設住宅は住みにくそうである。
お隣りの声が聞こえてしまう→ひっそりと生活をする→会話をしなくなる
引き篭もりをつくっては、ならないよー。高齢の一人暮らしもあるだろうし。。。
これでは良くない。『ごめんね、今日は誕生日でパーティやっているからウルサイけど許して。良かったら参加しませんか?』
みたいな関係をご近所と作れないと!ですよね。

カラダホグシの場で、お年寄りと母と子供たちが一緒に動いていた。
いつも会わない人と会うのは楽しそうである。
気分転換。
一度でなく、数回繰り返すことにより、より一層お友だちになれるのではないかな。

そんな地元密着のワークショップが、毎月回っていったら、アチコチで行われていたら、ホンのすこしでも、生活を変えることが出来るかな?
今回、えぼし荘の皆様には、顔と名前を覚えていただけたので、継続して行くことが、大事だなぁ~と思う。

そして、東京での活動に生かすことだよな。
アーティストが行く意味。
硬い報告書ではなく(笑)やわらかすぎるブログだけどnice!な写真達と今後の展開。

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2回目の野田村行き 2--佐藤美紀



6時半、えぼし荘にギリギリ到着!
7時からえぼし荘体操2回目。
昨日より沢山の人達が参加~。

昨日やって良かったよ、と、言ってくれて再び参加してくださっている方々は、お風呂セット持参。
隣が大浴場なので、ストレッチして汗かいてから温泉♪というコースを設定。
完璧です。(笑)


社会教育事業団(?)の松川さんという女性からのメッセージが受付に。
今後、毎週金曜日午後、避難所内集会所でのびのび体操とセラバンド筋トレ、栄養相談、健康相談などをこれから行うとのこと。
ぜひ、そこでも、ダンサーによる体操をっ!と話しを進めていて、今回、何処かで会えないでしょうか?と思っていたところ。
松川さんもえぼし荘まで、来てくれていたらしいのですが、残念ながら、すれ違いに。
でも、受講者の声を聞き、ぜひ、今後、避難所内集会所でもやってくださいとの話になりました!

床+立の運動を40分とちょっと。
で、最後に、足首でマル~、膝でマル~、腰でマル~、肘でマル~、手首でマル~、頭でマル~って、やっていたら、まったけさんが盆踊りみたいだなっって言うので、じゃ、盆踊りしましょうかっ!ナニャドラヤ教えて下さいっ!って振ってみたら、皆様、踊る踊る。



男性が一人、手ぬぐい頭にまいて、なんとか踊りを披露するも、女性陣が一気に円になって踊り始めるっ。
流し踊りじゃん~って、男性はちょっとツマラナソウ。
女性は太鼓が必要!っといいつつ、お盆のウラをたたきながら、でも、踊る踊る。
20代の女性は知らないらしい。
40代以上の方々は皆様御存知だった。
今年は夏祭りもきっとできなからね・・・・と、さみしそう。

太鼓もお祭り道具も流されちゃったんだよね。


終了後、夕ごはんを頂き、まったけさんにチュウハイをご馳走になる。
ロビーで歓談。
ここで女性と飲むのはじめてだよぉ~っと、ちょっと嬉しそう。(笑)
震災時の写真などを拝見。

今欲しい物は草刈機。
これから余計に必要なもの。

漁師の朝は早く、船はなくても、漁師の生活。
朝から草むしりしたり、家を見に行ったり、海を掃除したり、結構忙しい。

まったけさんの日本語はあまり訛りもなく、聞き取りやすいな、と、思っていたら、高円寺に住んでいたこともあるらしい。
大工だったんだって!
野田村に婿に来たんだって!
そっか!
で、納得。
この村に生まれ育ったとは思えなかったんだ。
このセルフ・プロデュース能力。
ブログの書き方。


お風呂は2種類あって、男性/女性が日替わりになっている。
温泉浸かっておやすみなさい~


6/11
3日目は、北リアスの現地事務所開設準備室OPEN式典に参加。
野田村内で迷子にならないように、八戸高専の河村先生、京都大学の永田先生と野田駅で待ち合わせ。
二人に会う前に、写真を撮りに線路を歩いていると(電車は動いていないと思っていた)ホームにいたおじいさんが、そろそろ電車くるよーっと、教えてくれる。
えっ!電車うごいているの?
だって野田の海岸沿いは、流されちゃって線路ないんだヨォー
流された方向とは逆側、久慈という隣街と野田村間、1駅ぶんだけ、1日にホンの数本動いているらしい。
利用客は2人とか、だけど。。。。
悪循環のサンプルだな。
本数が少なすぎて、使いにくい。使わない。赤字路線。余計本数が減る。余計に使わない。
でも、久慈の街は村よりかなり大きいので、必要な人もいるだろうに、ね。
可愛い電車をパチリ。

八戸高専の河村先生、京都大学の永田先生と、他にも函館高専の先生たちと合流。
駅でお弁当などを購入。
ついでに、雑穀類も購入。
またやってしまった、食材の買出しw


北リアスとは・・・は、前に書いたよね。
野田村名士と思われる、貫牛利一さん宅敷地内にプレハブの小屋を。
ここは、村の中でも大きい仮設住宅が集まっている中学校裏へ徒歩5分、という立地。

式典。取材もきている様子。
翌日の地方新聞にでる。
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201106/h1106125.html
http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/news/2011/06/11/new1106112101.htm

午後は、中学校仮設横で、お好み焼き&たこ焼きを振舞い、フリーマケット開催。
お好み焼き&たこ焼きには、すごい行列が出来てるっ!
準備も万端とは言えずで遅いっっていうのは、あるけど。でも、みんな、並ぶのに慣れてしまっているのだろうな。
折角たくさんの人が集まっているから、立って並びながらできるストレッチでも?ともおもうが、午後の日差しがとても強く、直射日光を浴びているところでは、ちょっと、あまり、よろしくない。
先週の6度とはうって変わって、20度超え。

本日の野外はパス。

そう、なぜちょっとでもストレッチとかって思ったかというと、どうも、えぼし荘体操が噂になっているらしい(笑)
この昼間に行われる村役場エリアイベントや何かと情報が混ざり、昼間どっかでやるんでしょー、行くよ~って、言ってくれた人が・・・ 何のことだ???と、私たち。(笑)

小さな村ですから、クチコミは早いっす。

フリーマケットでは、お野菜や乾物、食品、衣類、ストーブ、寝袋、ナドナド。
膝掛けなどの布物も人気。

しかし、皆さん、よく並びます。
1時間平気で並ぶ。
そういう環境になってしまっているのだろうな。

すこし話した男性のことば。
もうワシは作業ズボンが2本もあれば、大丈夫だけど、仮設に沢山の物を積み上げている人もいる。
そんなに使わないだろうに、と、いう人も。
でも、本当に、何にもなくなっちゃってね。

一人暮らしのお年寄り達が、引き篭もらないように、少しでも、出てきて、話す環境をつくっていかないと。
今の仮設住宅は、対話をしにくい構造のようにしか見えない。
ご近所ネットワークが大事なのに。

ものは集まっていると言われているけど、大根1本に並ぶ主婦たち。
生活は甘くない。

仕事はなくなってしまった人が大半の中、光熱費も食費もかかるのだから、大変だろうに。

そして、仮設の周りでは、犬が繋がれている。
家の中では飼えず、で、近くに繋いでいるのね。


生活を垣間見て、片付けの目処がたったところで、失礼する。
皆様はこのあと、久慈で打上げというか、宴席を設けているらしいが、私達にはえぼし荘が待っているっ!
それに、その前に、苫屋さんに行かなくてはっ!


で、苫屋さんに向かう。
今日はやっていて良かったー。
素晴らしい店内。
美味しい自家焙煎のコーヒーとお手製ケーキを頂く。
お話をすると、奥様の久美子さんは、本日の中学校裏仮設でハンドマッサージをしていらしたらしい。
気がつかなかったわ!

仮設での生活をどう支えていくか、村でのネットワークづくりを考えている一人で、仮設内にある唯一の集会所で月曜日午後にアクセサリー作りやハーブティーづくりを計画中とのこと。
久美子さんとやりとりを頻繁にして情報交換したいところだけど、なにしろInternetどころか電話もない。。。
お手紙です。
野田村復興祭りのこと、その発起人の人たちの話を聞く。
東京在住らしいので、帰京後、話をしてみることに。
(その人は、苫屋さんに宿泊とのことでしたが、会えなかった。)

話が盛り上がりすぎ。
慌ててえぼし荘に戻る。

ストレッチ3日目。

みなさま、お疲れ様です。
急に3日も連続で、カラダ、大丈夫ですか?(笑)
あまり急に連続するのも、どうかしら? と、思いつつ。。。
3日目は少し軽めに。
昨日が大変だったかな。

終わってからも、話込んでしまいました。
早く夕食を食べてくださいーーって、スタッフからの視線を感じ、話を切り上げ、夕食へ。
ロビーでまったけさんにビールをご馳走になる。

私のmacいいなぁ~って。
それ、置いていっても良いよって。(苦笑)
パソコンも欲しいんだよね。みんな。
流されちゃったんだもんね。

これはあげられないけど、探してみるよ、と、約束。

写真展用のスチレンボードも送るよ、と、約束。

翌朝、最後の挨拶して、帰るからね、と、約束。


6/12
お寝坊さんの私たちが朝御飯を食べていると、一仕事を終えたまったけさんが、帰る前に、船を見せてくれると。
1艘だけ残った船。

そういえば、3人で撮った写真がなかったね、とパチリ。

孵化場やその周りを見学し、バイバイ。

また来るからね。


野田村内、役場近く、写真室を見る。
ココでばったり、永田さんと、南風堂の人に会う。ボランティア作業中だった。
この記事は、初回野田村に来る前に読んでいた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110525/dst11052507500004-n1.htm
ココに書かれている浅田政志さんの友人が、南風堂の彼女とのこと。
海水に浸かってしまった写真は、すぐに処置しないとどんどん劣化してしまう。
カビも生えてしまうし。
写真再生のボランティア。

作業ズボン姿のおばあさまが拾ったばかりの写真を届けに来てくれる。
その場で洗う。

永田さん達に、また夜にね、と、言って別れる。

先に八戸に戻るよ。


八戸の大物に会い、弁スタ見学。

駅でお茶して、一緒に旅をしていた神前さんとおわかれ。

今夜は八戸の温泉付きのスーパーホテル、温泉は狭いけど(男性用のほうが広いらしい)快適。
枕が選べるのがスーパー。

はっちに寄って、ちょっとお話。見学。
codomo hacchi!
ホント、ココ好き。


一足早く、南風堂に向かおうとハッチを出たところで河村先生に遭遇。
南風堂で飲みながら話す。
後から、渡邉さん、大澤さん、弁さん合流。
そのまた後から、かぐや姫ならぬ、がくや姫のライブに行かれていた面々が合流。
八戸には、この、なんちゃってバンドが多数あるらしい・・・

後から合流メンバーは数が多すぎて覚えていませんっ!
渥美先生、矢守さん、永田さん、、、、、



6/12
先日と同じ、朝10時の新幹線に飛び乗り、再び、盛岡。
80歳のストレッチ(笑)
帰京。

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2回目の野田村行き 1--佐藤美紀

6/9
ロックの日。仕事が片付かなく徹夜のまま、二回目の野田村行き。

東京駅でJCDN神前さんと待ち合わせ、八戸へ。
八戸駅でレンタカーを借りて、直接野田村へ。

夕方6時過ぎにえぼし荘に到着。
ココは避難所ともなっているトコロ。
多いときは100人超える人達が生活していたらしいけど、現在は20人位に。
まったけさんと再会。

よる、大広間にてストレッチ体操開催!

10人位の方々に参加していただく。
40分ほどカラダホグシ体操を。畳の広間は気持ちがいい。目前には海。
気持ちがいい~とナカナカ好評の模様。
みなさんいい顔している。

ここは、避難所とはいえ、国民宿舎なので、一家族で一部屋を使っているので、体育館にお住まいの方々よりも居心地は良さそうです。
温泉もあるし♪

体操の後に、少しお喋りし、夕食を頂く。
私たちもココに宿泊。

ロビーでまったけさんと話していると、子供二人を連れた若い夫婦が登場。
流れで、ロビーでもストレッチ大会開始!
受付の女性(先日会っている南川さん)も、カウンター越しに参加。
お風呂に入りに来ていた、中学校近くの避難所にいる方も、村にフツウにお住まいの方も一緒に参加。

一緒にいるから出来ること、って、沢山あるな、と思う。
夕食後、お風呂の前の7時という時間は、なかなかよいタイミング。
みなさま、普段、何もやることないのだそうで。

よしっ!明日はもっと人呼ぶぞ、と、まったけさん。
ありがとうー



6/10
翌日は朝から宮古へ。
野田村から車で1時間半ぐらいかな。
途中、ものすごい光景を目にする。変な言い方だけど、ウェブで見る写真と同じ。
それが一箇所ではなく、続いている。
本当に続いている。。。 こんな状態が500kmとか800kmとか続いているかとおもうと、被害の大きさが尋常ではないことを痛感する。
前述だけど、本当に被災地が広範囲・・・そんな簡単な一言ですませられない、、、、

宮古の駅前喫茶店で魁文舎の花光さん、松本さん、京都から来ていたセレノグラフィカのお二方、今回記録として同行されていたタキシマさんと合流。
なんというレトロな喫茶店。
おじい様経営の素敵な喫茶店。


この日の避難所は難関、ということで、花光さんからHELP!を頂き、合流することに。
行ってみると、そこは大きなアリーナ。
いくつもの体育館がある。
つまり、それだけたくさんの人々が生活をしている。

皆さんの住んでいる体育館内でストレッチを開催できそうだったら、同時に何箇所かで行うこととなるので、その為に講師が何人かいるとベターという判断でのHELP要請らしい。

でも、実際には、食堂の横に集まってもらうことに。

各部屋を周り、声をかけ、食堂横に来ていただく。
でも、もう、体育館に残っている人は、とても少ない。ここでも昼間は外出されている方がほとんど。
いても、うごきたくないから、でかけたくないから、残っている・・・そんな人達が殆だった。


そんななか、スタッフ含め10数人が体育館に集まる。
セレノのすみじさんの指導のもと、皆さん、円になって、ストレッチ・マットに座る。マット、用意してくれていたんだね。
45分位、体操を。私たちはアシストに入る。
自然の流れで。

いい内容。関西ならではのボケ、ツッコミもあり、皆さん楽しそう。
うん。人のクラス見ると、ほんと勉強になるわ。
よい機会をありがとう。

最後に私が話しをして参加してくれた男性のスタッフから、相談をされる。
彼は青森から派遣されているスタッフ。
かなり個人的なことだけれども、お嬢様に障害があり、車椅子での生活とのこと。
その施設のようなところで、年に1回、文化祭のようなイベントを開催してるとのこと。
その時に、ダンスのようなことをみんなでできないかな?と、思ったらしい。
こうやって、少しづつでも、ダンスが社会とコミットしていくのはとても大事なこと。
宮古での、いい出会いをありがとう。

終わった後、向かいのショッピングモール内、ケンタッキーでお茶をする。

津波が来たのか来なかったのか、そのホンの少しの差が、生活を大きく分けている。
仕事があるのか、ないのか、その差は歴然と今後に関わってくる。
このショッピングモールには、物がフツウに溢れ、皆さんフツウに買い物に来ている。
あたりまえだけど、日常に戻っている人は、完全に戻っている。
でも、その一方で、仕事もなく体育館で生活をしている人たちもいる。

体育館から出勤する人もあれば、家は無事で生活できるけど、仕事がなくなった人もいる。

震災復興フェアと題された一角には、お仏壇が並んでいた。
それが現実だよな。

この企画、ダンスアーティストが現地に入る場合、先が、よめない。
先日の私が野田村で行ったイベントもそうだけど、その場で判断し、内容をアレンジしていく。
経験値がないと厳しい。自分もそんなにエライことはできないけど、年とっている分だけ、状況を見ることは出来る。
いわゆるワークショップのように、参加したくて参加しているというより、何だか知らないけど、付き合うか・・・って、いうモチベーションの人たちをどう乗せていくか。けっして簡単ではない。そして参加した人たちが笑顔で帰ることが出来るような内容を。
私にとっては、母の付き合いで行く老人福祉施設より、平均年齢がかなり若いので(笑)楽しいいけど。

そんなこんなで、お昼食べたりして、皆様と別れ、私たちは野田村へ向かう前に、しばし宮古近辺の観光を。

港に行き、崩壊している家々、建物を通過し、浄土ヶ浜まで。
途中通過のホテルも避難所になっていると思われる。(洗濯物が干してあった)

観光センターの先、車両通行禁止のトコロにも通してもらう。
女性二人、京都からです~、東京からです~ は、強い。(笑)

管理のひとにも、どうなっているかわからないから、気をつけるんだよ、と、言われ、奥浄土ヶ浜まで。
絶景ポイント。小沼、大沼、浄土ヶ島、、、、
でも、その対岸は鉄の柵は曲がって海に落ち、アスファルトは捲れ、剥がされ、、、、

ここのレストハウスは昨年10月に改装し、この夏の集客を楽しみにしていたらしい・・・
屋根が飛んで、捲れてる。。。

若いおじいちゃんと男の子に会う。
写真とっているおじいちゃんの様子。

ゆるゆると野田村に戻る。

途中、小さな集落を通過する。
そこもひどい被害をうけている。
きっと復興はおくれているだろうし、物資もなかなか来ないのでは?と思う。
きっと震災後1ヶ月は道路も思うように通れず、本当に辛い生活を余儀なくされていたのでは?と想像する。

こういう小さな村々が一体いくつあるのだろう?
海岸沿いには、小さな集落が点在しているのに違いない。
TVが取り上げるのは、有名人の○○○さんが、被災地へ○○○を届けにいきました~とか、そんなのばっかりだよね。
大きな避難所のことばかり。
小さな村のこと、見れていない気がどうしてもする。
それより、宮古だって、釜石だって、ホテルもあるし、観光誘致ぐらいすべきでは?

各会社でやっている慰安旅行。それを全て東北にし、宴会やって、地元にお金落としていこうよ。
その宣伝をTVではやって欲しいな。
美味しいお魚もお酒もあるよ!


で、途中、観光(笑)

熊の鼻なる展望台へ登る。
綺麗。

前回の台風6度とはうって変わって、気持ちのいい夕日。


前回の台風かつ気温6度とはうって変わって、気持ちのいい夕日。


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2011年6月29日水曜日

野田村(6月9日~11日)報告…JCDN



5月末の野田村にアーティストとして派遣されたダンサーの佐藤美紀さんのコーディネートで、そのときのつながりをきっかけに再び野田村へ赴く事が決まり、私はアシスタント兼運転手として参加、初めての被災地訪問でした。


日程は6月9日~11日の3日間。場所は国民宿舎 えぼし荘の畳敷きの大広間。夜の時間帯に30分~40分ほどのストレッチの時間を設けた。参加者は子供~高齢の方まで、1日15人程度。
他に、10日朝~昼にかけて、魁文舎花光さんのチームが行う宮古市でのワークの応援。午後は宮古市内から野田村までの国道45号線を北上しながら、周辺の被災地などを見て周った。11日は、午後、「チーム北リアス」の現地事務所開設準備室の開所式に参加、その後、事務所から徒歩5分の場所にある野田村の一番大きな仮設住宅で行われた現地拠点開設記念イベント(お好み焼き&たこやきと物資青空市)に参加。夕方ごろ、野田村のアート関係者が必ず立ち寄るというカフェ&民宿「苫屋」に我々も立ち寄り、そこで活動家の女将さんと出会う。12日、午前中に野田村中心部の被災場所を視察、最後に写真保管所に寄って、野田村を後にした。 (詳しくはこの後の美紀さんブログにて。)





今回、我々が活動の拠点とさせていただいたえぼし荘は、野田村の中心部から車で20分ほどはなれた海岸沿いの小高い丘に建つていて、すぐそばの下安家川(しもあっかがわ)地区に住むの方々の避難所でもある。前回、佐藤美紀さんとJCDN佐東がここを訪れた際、まったけさんという地元の漁師さんに出会ったことがきっかけで、この場所で連続ワークを行いつつ、周辺に活動を広げる機会を得ることができた。





まったけさんは自分の船が津波に流されてしまい、今は漁をしたくてもできない。ご本人曰く、「羽のない鳥のよう」な状態で、日々避難生活を送っている。えぼし荘は野田村中心部と離れているために、十分な物資が届かず、まったけさんが自分のブログで東京の知人に必要なものをSOSしたところ、その方のネットワークで様々な物資が宿舎に届くようになり、それで難をしのいだという。






我々が到着すると、えぼし荘のスタッフさんが人集めのための掲示物を用意してくださっていた。そこに赤ペンで「ちょ~・きもっがええ~」と書かれている。これが、まったけさんの筆(写真)。1日目のワークを終えて腰痛が治ったとかで、そのハッピーな心が反映されているようだ。私にも、この掲示物をもっと目立つようにしてちょーだい、と頼まれて、追加で書いてみた。







少し話がそれるが、こういうとき「なんて書くか」ってけっこう難しい。この気分を損なわないようにしたい。でも、体操とかストレッチ、というのはちょっと違う気もする。うーん・・・で結局、まったけさんやえぼし荘のスタッフさんから「初めての人でも分かりやすい言葉がいいよ」と助言を受け、それならどういう状態になれるかを言葉にしてみようとして、「のばして ひねって すっきり リラックス」に落ち着いた。実際、これを総称すると「ストレッチ」とか「体操」になるなんだろう。ちなみに、現地の人に度々質問してみたところ、大方の人にとって、「体操」という言葉・響きが最もイメージしやすいということが判ってきた。「ダンス」と言って通じ合える?までには、まだまだ遠い・・・!?





このように、まったけさんは我々を温かく迎えてくださり、人集めまで進んでしてくださった。おかげで、えぼし荘に避難されていた住人の方々には、比較的すっとなじんでもらえたのではないだろうかと思う。全員がご近所さんということもあってか、時々、ポーズや動きをしながら、お互いを見合って笑いが漏れたり、少人数ではあったものの賑やかな場になっていたのは嬉しかった。このような方が支援先の中心にいて、偶然にも出会えたことはとても大きいことだと思う。

まったけさんとの出会いを通じて、重要だと思ったことが2つある。一つは、被災された方の話をとことん聞くということ。(ただし、知らない人にいきなりできる話ではないだろうから、そこに至るまでのコミュニケーションが必要不可欠だろう。)
まったけさんは我々に、津波が橋の上までせまってきた時の事、船が流されていった時の事、その時刻を、何度かお話された。そして、そのときに撮影したたくさんの写真を、何度か見せてくれた。始めのうちは、(ここに来る前にも佐東から事前資料として渡されていたので余計に)、一通り見た、という頭が私のどこかにあって、どうして繰り返しお話されるのかな、と不思議に思っていた。けれども、最後、お別れの日にその船が流された場所、船着場に案内してもらった時に、これまで聞いた話が急に現実味を帯びて私の体に乗り移ってきたような気がして、ようやくまったけさんのSOSにわずかながら気づいたように思った。傍にいて心の声を聞くということ。それは、この活動を通じて、きっとやるべきことの一つなのだろうと思う。(ちなみに、帰京後、宮古でご一緒したセレノさんとの報告会の折、セレノさんは上記のことを「体でも対話できる」とおっしゃっていたのが印象に残る。)



もう一つは、継続的な活動をしていくことの大切さだ。現地にいて様々な話を聞くことができたのは、短くても3日間同じ時間にそこに我々がいたことによると思う。また、体ほぐしの場も、続けて行っていると、良いものは瞬く間に村中の噂になるらしく(特に、えぼし荘には温泉があり、外からも人がたくさん訪れて風呂ニケーション!?があることもプラスして)、明日はどこか村の中心部で体操やるんだって?と密かに楽しみにされていたり・・・、実際には村中心部での体操は計画にはなかったので、我々にも「?」の噂ではあったのだけども、なんだか嬉しかった。さらに欲を言えば、そうやって現地とのコミュニケーションを作っていく中で、いずれは「ダンス」でも通じるようになるかもしれない。・・・そのためには、一つの場所で行ったこと、一人の人と出会った事をきっかけに、より継続的な場を開いていけるかどうかが今後のポイントになるだろう。  (報告:神前沙織/NPO法人JCDN)