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2011年6月29日水曜日

野田村(6月9日~11日)報告…JCDN



5月末の野田村にアーティストとして派遣されたダンサーの佐藤美紀さんのコーディネートで、そのときのつながりをきっかけに再び野田村へ赴く事が決まり、私はアシスタント兼運転手として参加、初めての被災地訪問でした。


日程は6月9日~11日の3日間。場所は国民宿舎 えぼし荘の畳敷きの大広間。夜の時間帯に30分~40分ほどのストレッチの時間を設けた。参加者は子供~高齢の方まで、1日15人程度。
他に、10日朝~昼にかけて、魁文舎花光さんのチームが行う宮古市でのワークの応援。午後は宮古市内から野田村までの国道45号線を北上しながら、周辺の被災地などを見て周った。11日は、午後、「チーム北リアス」の現地事務所開設準備室の開所式に参加、その後、事務所から徒歩5分の場所にある野田村の一番大きな仮設住宅で行われた現地拠点開設記念イベント(お好み焼き&たこやきと物資青空市)に参加。夕方ごろ、野田村のアート関係者が必ず立ち寄るというカフェ&民宿「苫屋」に我々も立ち寄り、そこで活動家の女将さんと出会う。12日、午前中に野田村中心部の被災場所を視察、最後に写真保管所に寄って、野田村を後にした。 (詳しくはこの後の美紀さんブログにて。)





今回、我々が活動の拠点とさせていただいたえぼし荘は、野田村の中心部から車で20分ほどはなれた海岸沿いの小高い丘に建つていて、すぐそばの下安家川(しもあっかがわ)地区に住むの方々の避難所でもある。前回、佐藤美紀さんとJCDN佐東がここを訪れた際、まったけさんという地元の漁師さんに出会ったことがきっかけで、この場所で連続ワークを行いつつ、周辺に活動を広げる機会を得ることができた。





まったけさんは自分の船が津波に流されてしまい、今は漁をしたくてもできない。ご本人曰く、「羽のない鳥のよう」な状態で、日々避難生活を送っている。えぼし荘は野田村中心部と離れているために、十分な物資が届かず、まったけさんが自分のブログで東京の知人に必要なものをSOSしたところ、その方のネットワークで様々な物資が宿舎に届くようになり、それで難をしのいだという。






我々が到着すると、えぼし荘のスタッフさんが人集めのための掲示物を用意してくださっていた。そこに赤ペンで「ちょ~・きもっがええ~」と書かれている。これが、まったけさんの筆(写真)。1日目のワークを終えて腰痛が治ったとかで、そのハッピーな心が反映されているようだ。私にも、この掲示物をもっと目立つようにしてちょーだい、と頼まれて、追加で書いてみた。







少し話がそれるが、こういうとき「なんて書くか」ってけっこう難しい。この気分を損なわないようにしたい。でも、体操とかストレッチ、というのはちょっと違う気もする。うーん・・・で結局、まったけさんやえぼし荘のスタッフさんから「初めての人でも分かりやすい言葉がいいよ」と助言を受け、それならどういう状態になれるかを言葉にしてみようとして、「のばして ひねって すっきり リラックス」に落ち着いた。実際、これを総称すると「ストレッチ」とか「体操」になるなんだろう。ちなみに、現地の人に度々質問してみたところ、大方の人にとって、「体操」という言葉・響きが最もイメージしやすいということが判ってきた。「ダンス」と言って通じ合える?までには、まだまだ遠い・・・!?





このように、まったけさんは我々を温かく迎えてくださり、人集めまで進んでしてくださった。おかげで、えぼし荘に避難されていた住人の方々には、比較的すっとなじんでもらえたのではないだろうかと思う。全員がご近所さんということもあってか、時々、ポーズや動きをしながら、お互いを見合って笑いが漏れたり、少人数ではあったものの賑やかな場になっていたのは嬉しかった。このような方が支援先の中心にいて、偶然にも出会えたことはとても大きいことだと思う。

まったけさんとの出会いを通じて、重要だと思ったことが2つある。一つは、被災された方の話をとことん聞くということ。(ただし、知らない人にいきなりできる話ではないだろうから、そこに至るまでのコミュニケーションが必要不可欠だろう。)
まったけさんは我々に、津波が橋の上までせまってきた時の事、船が流されていった時の事、その時刻を、何度かお話された。そして、そのときに撮影したたくさんの写真を、何度か見せてくれた。始めのうちは、(ここに来る前にも佐東から事前資料として渡されていたので余計に)、一通り見た、という頭が私のどこかにあって、どうして繰り返しお話されるのかな、と不思議に思っていた。けれども、最後、お別れの日にその船が流された場所、船着場に案内してもらった時に、これまで聞いた話が急に現実味を帯びて私の体に乗り移ってきたような気がして、ようやくまったけさんのSOSにわずかながら気づいたように思った。傍にいて心の声を聞くということ。それは、この活動を通じて、きっとやるべきことの一つなのだろうと思う。(ちなみに、帰京後、宮古でご一緒したセレノさんとの報告会の折、セレノさんは上記のことを「体でも対話できる」とおっしゃっていたのが印象に残る。)



もう一つは、継続的な活動をしていくことの大切さだ。現地にいて様々な話を聞くことができたのは、短くても3日間同じ時間にそこに我々がいたことによると思う。また、体ほぐしの場も、続けて行っていると、良いものは瞬く間に村中の噂になるらしく(特に、えぼし荘には温泉があり、外からも人がたくさん訪れて風呂ニケーション!?があることもプラスして)、明日はどこか村の中心部で体操やるんだって?と密かに楽しみにされていたり・・・、実際には村中心部での体操は計画にはなかったので、我々にも「?」の噂ではあったのだけども、なんだか嬉しかった。さらに欲を言えば、そうやって現地とのコミュニケーションを作っていく中で、いずれは「ダンス」でも通じるようになるかもしれない。・・・そのためには、一つの場所で行ったこと、一人の人と出会った事をきっかけに、より継続的な場を開いていけるかどうかが今後のポイントになるだろう。  (報告:神前沙織/NPO法人JCDN)